一人舞台

Do you have the time to listen to me whine

ピアサポートの会に参加したはいいけど・・・

担当の社会福祉さんと、これまた長い付き合いのある利用者さんと自分の3人で細々と続いたデイケアが突然の解散。

家族や家の自分は好きじゃないし、会社の自分は義務と責任で耐える労働者。そのどちらでもない自分でいられるのがデイケアだったのだけど、居場所を一つ失ってしまった。

代わりに提案された、ピアサポートの会に参加して、これは精神的な病気や障害を抱えつつも働く人たちの交流会みたいな感じだったのだけど、すでに出来上がっている関係性の中に、初めましてといって馴染めるわけもなく、話題がわからない、ついていけない、話を振られても愛想笑いくらいしかできなくて、まあやっぱりこうなるよなぁ・・・と。

それ自体はもうどこに行ってもそんな感じだから今更どうこう思わないのだけど、失った直後だからねぇ。

他にも年齢層、居心地、どんな人たちが何人来るのか、何をするのか・・・みたいな要素も混じり合って、孤立しないように人々との触れ合いを!っていうのはわかるけど、現実はとても難しく感じる。ただその場にいるっていうこともできなくはないけど、楽しいか?意義を感じられるか?って聞かれると・・・。

 

突然の別れ

今日通院先から電話連絡があって、「デイケアの担当職員が退職されましたので云々」とのこと。

え!?退職!?月一回、第四土曜日の就労支援プログラムに長年お世話になっていて、今年に入ってから仕事の疲れで一度も参加していない。2か月前にこれまた10年程の付き合いになる件の担当の社会福祉士さんから、心配の連絡があったばかりだ。

その時に一般デイケアを退職したが、土曜日は引き続き行うとの話を聞いて、先月行こうと思っていたら急な用事で休み、からの・・・。家族に何かあったとか?

いやぁ、長年お世話になっても別れというのは突然というか、あっけないというか、切ないですわ。

 

それはそれとして、転職や一人暮らしをどうするか問題が空中分解してしまった・・・。

一応次の担当者を決めて再開する予定ではあるけど、全くの未定とのこと。代わりにピアサポートの集まりがあるのでそちらに参加しては?との提案があったので、明日はそちらに参加してみる予定。思えば20代の頃も保健所の心の相談に長いことお世話になっていたけど、そちらも担当の方の退職で放り出されてしまった。

孤立しないようにと、繋がりを持ち続けようとはしているのだけど、現実は残酷だ。切っ掛け一つであれよあれよと孤立状態になってしまう。なんだか寄る辺無いような。

休みの使い方がよくわからない。

もう時期ゴールデンウィーク。同じ支援野郎Aチームのおじさん、西ちゃんから最近「休みの日はどこ行くの~」とよく聞かれる。西ちゃんはどこ行くの?と聞くと、東京へ遊びに行くそうだ。

遊びに行くって案外疲れない?連休だと、どこに行っても人、人、人で、精神をすり減らすだけじゃないか。混んでいるのがわかりきっているのに出かける、平気な心理は自分にはわからない。家の環境もあるし、いつも通り仕事でいいよ。それか、とにかく休みたい。

 

空虚さについて

人間の感情において、喜びや楽しみは初めから人の間に生じるのが、通常である。

その感情は当事者一人で完結しない。なぜなら、喜びや楽しみ、嬉しさなどは、その根底には他者による肯定や承認があり、それを条件に成立する感情だからである。

誰からも「よかったね」「がんばったね」「すばらしいね」「面白いね」と言われない行為を、我々は喜んだり楽しんだりすることはできない。

100点のテストを誰からも褒められず、誰にも評価されなくて、誰が一人で喜べるだろうか。誰かと一緒に「楽しいこと」としてその行為をすることなく、誰がそれを「面白い」と感じられるのだろうか。

 

南 直哉著 仏教入門より

 

 

ここ何年かで、急激に物事を楽しむことができなくなった理由がこれに該当するのでは?と読んでいて思った。

学生時代は友人なり、弟なり、遊び相手がいたけれど、時と共にそういった人たちもいなくなって、気が付けば家と会社の往復、人間関係がないわけではないけど、一人で過ごすことが多くなった。

時折集団や関係から離れて一人になる時間、そういう孤独はあってもいいのだけど、一人でいるしかない、何事かを共有できない「孤立」になると、やっぱりつらいというか、空虚な感じになるよなぁ・・・。

自分とは一体どういう存在なのか?それは他者との関係においてこそ決まる、課せられると著者は語る。そこが欠乏しているのだから、空虚になるのも当然か。

とはいえ、じゃあ闇雲に人間関係を結ぶのが良いのか?と聞かれれば、それはそれでしんどい。害を及ぼす人だっているだろうし。

望んで一人でいるのか、人間関係が苦手だからか、外的要因で苦手になったのか、先天的な話なのか、いずれにしろ空虚に感じる程度にしか、他者との関係を結べなかったのだと思う。わからないんだよ、どうすればいいのか。

 

この後、「他者に課せられた自己」課す他者からの肯定や承認が得られなければ、課せられた自己は重圧にしかならない。これをついに引き受けきれなかった末路が、2008年に相次いで起こった事件と共に語られる。