一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

自分の問題を誤魔化してしまう

一体何に悩んで、どうしたいのか。というか、何ができるのか。それがわからんのですよ。「別にいいじゃん、そんなの」って思えたら、どれだけ楽だろうか。家族、恋人、友人、趣味、居場所、自分のやるべきこと。こういったものがあって、自分という存在がなんとなくでも肯定されていれば、そう思えるのだろうか?いずれもないので、自分という存在が剝き出しになってしまう。

苦しさ、八方ふさがり感・・・仕事のこと?疲れ?孤独?家の人間関係のこと?一人暮らしのこと?経済的なこと?将来困窮することが目に見えていること?恐らく全部だろう。

こういったことに対して、何ができるのか?どこから手をつけていいのかがわからない・・・こともそうなんだけど、一番問題なのは「自分自身と上手くやれていない。自分の問題を誤魔化してしまう。逃げてしまう」ことだと思う。

現状に不満があって、変えたいと言っているのになんで行動しないのだと。

本当に自分の問題には向き合い難い。他人のことを指摘したり、心配する方がずっと楽である。

 

だから折に触れて相談できる人、自分の問題を適切に設定してくれる手助けをしてくれる伴走者が必要なんだと思う。自分一人では同じところを回って、やっぱりどん詰まる。

デイケアでの過ごし方がそれに近かったように思う。世間じゃ言いにくいことも割とテーマとして出せたし、担当の社会福祉士さんとも長年の付き合いがあったわけだし。

しかしそれも仕事が忙しくて、理解が全くないわけではないけど、休むことに否定的で(当たり前か)何よりデイケアのプログラム内容に変更があって、今の自分の状況とはそぐわないのではないか?少々時間も空いたしと参加しづらくなってしまった。他には相談することの後ろめたさがある。答えのない問題であるし、時間を使ってもらって、こうしようってなった時に、行動できるか怪しいから。変える気があるのか!?って話でしょ。

 

職場ではいろいろな人が働いているわけだけど、どんな思いで過ごしているのだろうか。

 

 

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