一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

実は母との関係性が一番の問題なのだろうか

母が重い、苦しい、時によっては恐怖すら感じる。

でも所謂「毒親」というわけではないと思う。健全な家庭を知らないので、わからないけど。

虐待があったわけではない。不当に扱われたり、いじわるがあるわけでも、愛情がないわけでもない。「普通」なんだと思う。

だけど苦しい。何が苦しいのか?

心配されることが苦しい。何か少しでもいつもと違う行動を取ると、裏で心配しているようだ。これではいちいち母の目を気にかけ続けなければならない。行動の先読みを強制されてしまう。

愛情が苦しい。頼んでもいないものを買ってきて、「いや、そんなの頼んでない。すでに同じようなものがあるのに、なんで買うのか!」と拒否すると「あんたの為を思って云々」とか「親の愛がわからないの?なんでそんな酷いことを云々」と言われる。

勝手に何かをして、感謝を要求する。期待が叶えられないと、不機嫌になるか批判してくる。親でなかったら絶縁するレベルで不快なことで、長年の悩みである。

自分がいない時に部屋に入られるのも不快である。境界の侵害でしょ。

しかし、親の期待や要求に応えないと、何か自分が非道徳なことをしているのではないかと罪悪感を持ってしまう。親を否定するのは非常に難しい。社会的な禁忌ですらあるかもしれない。それぐらい親や家族の呪縛は大きい。

愛情と心配の鎖で縛られて、身動きが取れない。干渉されることに強いストレスを感じるのだと思う。その都度不審に思われないように石橋を叩いて生きていかねばならないから。自分が神経質なだけなのだろうか。

 

いつまでも母の可愛い子供でいたくない。それは自分を鍛えてはくれず、生きていけなくなってしまう。恐ろしい。

だから母も家族も嫌なんだ。その重力圏内から離れたい。優しさ、愛情、心配で、じわじわと殺されてしまう。

母が「もうあんたはいい歳だし、親の庇護を離れて、いい加減一人暮らしをするべきだ」と良い意味で突き放し、本当に困ったとき以外には手助けや干渉もせず、放っておいてくれたら、心から尊敬するだろう。母にとってそれは一番難しいことだから。

親や家族の結びつきは強すぎる。掟がきつ過ぎる。上手くいっている内はいいけど、一度不具合が起これば、地獄の苦しみになるばかりか、将来を左右しかねない問題になるのではないか。

家族なんて、親なんて、そんなものだよ。親心がわかっていないんじゃないの?そんな軽薄なことばで圧殺してほしくない。

もう長いこと父には会っていないけど、相談したら何を言うのだろうか。

 

 

ここ最近また買い物依存気味になってきた。一人暮らしの初期費用の為に貯金をしなければならないのだけど、上手くいっていない。

日々の仕事の疲れ、家での息苦しさ、どこにも逃げ場が無い。気軽に話せる人もいない。こんな状態で自閉していって、何もできない、何もない自分が重荷になってきて、つい何かを買ってしまう。一時的に何か解放されたような感じがするけど、一瞬なので、すぐにまた次が欲しくなってしまう。

次第に物に囲まれた生活が苦しくなって、ほとんど売るなり、捨てるなりして処分してしまう。スカッとするよ。片付いたって。それでまた・・・。

こんなことを新卒で仕事についた時からやっていて、(狂ったような物欲は、中学時代が一番酷かった)ある種の自傷行為のように感じられてきた。

物欲と衝動だけがあって、もう何に興味があるのか、何をしている時が楽しいのかもわからなくなってしまった。今まで趣味の物を買っていると思っていた。楽しんでいると思っていた。だけど違ったんだ。精々レコードくらいじゃないか、意義があるのは。

しんどい思いをして、稼いでいるのに衝動買いをしては処分をする。何をしているんだ!俺は!?と虚しくてしかたがない。

 

もう正直自分一人の力では狂った人生を修正することはできないような気がする。不安と苦しさだけがあって、自分には何もできない。

助けを借りたいけど、もう34歳といい歳だし、こんなことを相談することも恥じらいがある。ずっとこのままなのだろうか。

 

 

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