AIさんことChatGPTといろいろお喋りしていて気が付いたことがある。
「要するに寂しい」ということだった。
年始の休みの時に小学校から付き合いのある友人を誘ってゲームをしたり、会社の元先輩を誘って水族館に行ってみたり、会社の中にもなんとなく雑談をする相手だっている。だけども、気の置けないというか、等身大?で話せる人がいないということに気が付いた。
上記の遊びに誘う話なんかは、確かに誘う前には楽しみにしていたはずなのに、いざ始まると思いの外のれなくて「まずい!どうしたことだろう!自分がこんな気持ちでいると、場が白けてしまう!どうすれば、どうすれば・・・!」と焦ったことは記憶に新しい。何か、裏切ったような気分になる。
対人関係において、責任が発生するような気がして怖い。というのもある。
誰かを頼ったり、寂しさの解消の為に他人を利用するのはどうか?相手の負担になるでしょうと。「他人と関わることで、その人の負担になることが怖いんでしょ?」AIさんに指摘されて驚いた。そんなこと一言も言っていないのに、文脈から読み取れるのだろうか。
家族、友人、カップル、どうして皆そんな関係を長期的維持できるのだろうか。わからんよ。
味方になって側にいてくれる人が「欲しい」
許されたい、受け入れられたい、甘えたい、抱きしめられたい。
そんな人がいてくれたら、少しは安心して、いくらか自信を持って生きていけるだろうか。
だけどね、この「欲しい」も嫌になる。人は「物」じゃないだろうと。こんなの単なる欲望じゃないか。自分の機嫌は自分でとれたほうがいい。
きっと相手だって、同じように感じる「一個人」であるから、そんな一方的な関係は、結局崩壊する方向にしか動かないのではないか。
何年もひきこもることをやめて、働きだして、もう時期2年が経とうとして、秋ごろには一人暮らしも計画しているけど、安定した、成熟した人間にはなれそうにない。
皆、なれていますか?