一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

必要なのは恋愛ではなく「治癒」な気がする

先日精神科のデイケアに参加して、ソーシャルワーカーさんとの面談の時間があったので、恥じらいつつも思い切って、「最近なんだか、甘えたくてしょうがない。これが苦しくて切ない」という話を切り出してみた。

曰く、恋愛をしてみるといいんじゃないの?もっと外に出ていろんな所へ行ってみたら?と。

そうなのかなぁ・・・と思いつつ考え続けると、なんか違う気がする。求めているのは何というか、語るのも恥ずかしいのだけど「大きな者からの無条件の肯定、包容」のような・・・。

要するに安心したいのだと思う。受け入れてもらえる、許してもらえる、味方が側にいてくれるっていう。人に求めるのはあまりに酷なことだと思う。

 

恋愛って、結局人間関係じゃない。

 

利害、力関係、駆け引き・・・。そういう人間関係に苦しんでいるのに、更に悩みの種を増やしてどうするのか。この間書いた職場の元先輩との水族館へ行った話みたいになって、苦しくなって、長続きしないと思う。

続きそうな関係としては、自分よりも優れた人からいろいろ手を貸してもらえる関係か、自分よりもダメな人の世話をする関係か。関係性がわかりやすいというか、どちらもパターンができてるから。

 

自分が一番できないのは「対等な関係」だと思う。

 

上なら礼儀正しくしたり、適当におだてたりしていればいいし、下なら親切にしたり気さくにしていればいい。共通するのは「関係を深めなくても特に問題にならない」ということ。

対等も基本は変わらないかもしれないけど、自由度が高すぎてついていけない。パターン化が難しく感じる。深まると途端に避けたくなってしまう。

 

会話もあんまりわからなくて苦しい。

よって言語以外のコミュニケーションができると良いかもしれない。例えば遠方から遥々来た弟に対して、別れ際に握手をしたり、ハグをしたりなんかね。

 

自分のことを語る、説明するのもまた・・・。

同じデイケアで、最近はどんな風に過ごしているのか?と聞かれ、以前楽しめていたことが全くできなくなって、自分の感性が徐々に消えていくようで切ない。今できるのは音楽を聴くことくらい。と答えたら、何を聴くのか?という話になった。

フィッシュマンズ!・・・とは答えたくなかったので、最近よく聴く山下達郎やイギリス系の洋楽なんかを答えたら、もうそれ以上何も答えられなくなってしまった。

頭の配線が切れたかのように何も出てこない!答えられない!昔からこんなことの連続で、会話をすることが、関わることがそりゃあ嫌になるよね。特に3人以上だと、全く会話の輪に入れないので、黙っているしかない。

だから内的世界に閉じ籠るしかない。だから音楽だけは聴き続けているのかもしれない。イヤホンを使えば、外界をある程度遮断できる。それでボーと物思いに耽るのが好き。

もう本当にダメなんだと思う。社会性とか協調性とか社交とか。孤独死まっしぐらだなぁ。

 

 

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