一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

長く続いたひきこもり生活が一旦終わって

愛着の問題が浮き出てきた。

 

高校卒業から働き始めて、20代の終わりくらいまでは、社会に、働くことに適応できないとか、そこから何度もひきこもるようになり、とにかく働きたくない、無理だ!とか、家族からの無理解や、この先どうすればいいのか?と、そんなことばかりを考えていた。

それが2年ほど前から今の職場で働きだして、今のところは安定して継続出来ているし、8月頃には一人暮らしまで持ち込めればいいと準備を少しづつ進めている。

かつての悩みや苦しさがひと段落した途端、愛着の問題?が色濃く出るようになった。

なんだか切なくて苦しい。一人でいたいような、誰かといたい気もする。でも誰かと一緒にいると気を使ってばかりでしんどい。やっぱり一人でいるより他はない。傷つきたくないし、傷つける悪者にもなりたくない。甘えたい、受け入れられたい。他人との関係を築く、維持する努力や気力が持てない。孤立する。困窮してしまう。そんなことばかりを考えるようになってしまった。

 

子供の頃を思い返すと・・・あまり覚えていなくて、虐待や放置があったとは思わないし、母を否定することがどこか恐ろしくもあるけど、小学校低学年の頃に両親の離婚があったり、特に中学3年間は家庭や学校生活、自分自身も荒れ放題だったように思う。

勉強には全くついていけず、いじめのようなことも経験した。行きたくなかったけど、母は許してくれないし、他に行く場所もなかった。

家はというと、母が同性の友人二人を連れ込んできて、奇妙な共同生活が始まった。最初こそ上手くいっていたように思うけど、次第に喧嘩が耐えなくなって、うんざりしたし怯えていたように思う。

家からお金を盗んでひたすら買い物に走っていた。何度怒られてもやめられず、何度繰り返しても満たされない。部屋は散らかり放題。風呂にもろくに入らない。相当に狂っていた3年間だったと記憶している。弟と妹はあの時期のことをどう思ったのだろうか。

 

前にも書いたけど、「今も」同性の友人との共同生活は続いている。尤も別の人だけどね。この生活も非常に抑圧的であり、その友人とやらとは関わりたくないので、部屋から思うように出られない生活が続いている。低賃金で一人暮らしを決行とは、つまりこういうことである。

何が、どこに問題があってこんなに切なくて苦しいのだろうか。

今通っている精神科に初診で行ったときにバウムテストというのを受けた。紙に木の絵を描いて、そこから何が読み取れるのか?みたいなテストだったと思う。その結果が

 

「パーソナリティや情緒面の発達は年齢相応の印象ですが、自信の無さや不安が窺えます。また愛着や依存、安心感といった感覚が薄いことや、自己の内面はまだ十分に確立されていない(自分のことが自分でまだよくわかっていない)ことが考えられました」

とのこと。

 

ひきこもり問題がひと段落して、愛着の問題を埋め合わせようとしているのだろうか。

だけどね、そんなものを他人に求めるのはすごく酷なことだと思うよ。

 

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