一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

8年間のひきこもり生活が、自分の最初で最後の平穏なんだと思う。

やっぱり社会人は、労働者はめちゃくちゃきつい。一人休むだけでも仕事が大変きつくなる。休み開け早々残業は勘弁してほしい。ここ最近非常に調子が悪くて、朝は死にそうな思いで会社に出かけている。

誰か眠っている間に首を絞めてはくれないか。とか、交差点を渡っている時に跳ね飛ばしてくれないか。とか、薬でラリってしまいたい。ラリっている間は考えなくて済むからとか、明日のことなんか考えたくないし、なんかもう生きていけないような気がしてくる。

社会に適応できる奴、できない奴。幸せな奴、そうでない奴、皆狂っているよ。

午後にはなんとか持ち直すので、午後の自分に頑張ってもらってなんとかやり過ごしている。午前と午後とで違う世界を、違う自分を生きているような気分だ。自分というものの同一性が危ぶまれる・・・。

 

自分にとって一番平穏で、過ごしやすかった時期っていつだったろうか?

3年程前の、8年程続いたひきこもり生活なんだと思う。

いろいろ事情があって、県営住宅に親に生活費を払ってもらって半一人暮らしみたいな感じで平穏だった。当時は黒いうさぎを飼っていて、爪切りや健康診断の時には5月に亡くなった祖母に運転してもらって近所の病院に付き合ってもらっていた。帰りに喫茶店でお茶でも飲みながら雑談をするのが常だった。

人間関係は今の通院先でのデイケアに参加していて、なんとなく似た者同士の関係があったし、絵を描てみたり、羊毛フェルトでなんか作ったりして、周りの反応もあってやりがいもあった。

金は勿論無いし、遊ぶ人もいなかったけど、炊事、掃除、洗濯、うさぎの世話など退屈はしなかったし、何より毎日の散歩が自分を支えてくれていたと思う。

ただ、親の庇護ありきの生活なので、こんなこと続けるわけにもいかず働きだした。働きだしたら、やっぱりきつくて続けられそうにない。全部仕事中心の生活になってしまって、家と会社の往復の疲れ果てる毎日。

思うにこんなことは、ほぼ全ての人が感じることなのだとは思う。一方、それでも狂わず、酔わず、死なずにいられる何か別のものがあるのではないだろうか。

無いのであれば、そうなるしかないでしょ。

 

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