一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

モーターを描く

以前ほどの熱意は無いが、何となくでも描いておかないと錆びついてしまう。

今日の題材は・・・モーターの画像を見つけたので、これでいいや。

 

 

一昔前に比べると、形の変形は少なくなったようには思う。

そういえば、何年か前にも描いて苦戦した記憶があるなぁと、過去のノートを開いてみると

 

 

多分挫折したのだろう・・・。

 

 

形を取るのに相当苦戦した跡が見える・・・。

 

働きだしてからというものの、時間が無い・・・のではなく、体力や気力を奪われることの方がずっと深刻な気がしてきた。他人との交流の機会さえ、奪われるだろう。

週5の8時間も会社に捧げて、取り分が時給1000円ちょっとで、一体何を得ているのだろうか。最近便利で豊かなことが本当に幸せなのか?目指すべきことなのか?疑わしく感じられてしかたがない。

それらは当然対価を要求するし、便利なものが便利であるが故に「必要なもの」になる。そんなものだらけになったら幾ら働いても、金があっても足りなくて、生きるコストが上がり続けて、隙間がなくなるというか。生きづらくなるのではないか。

自分の立っている場所が変わった?

昨日デイケアに参加して、久々にとある利用者さんと話をした。

精神疾患か何の事情があるのかはわからないけど、何年か前に仕事を辞めて以来、今もひきこもりを継続中で、デイケアに来る以外には部屋でゲームなどをして過ごしているようだ。

ついこの間まで自分も同じように過ごしていたはずなのに、何故だか話に入り込めなかった。あんなに悩んでいたひきこもり状態とは、一体何だったのだろうか。

今の自分にあるのは母や家族との悩ましい関係。一人暮らしを巡る問題や不安。できれば労働時間を減らしたいとか、そんなところである。

定期的に会って、ゲームや趣味の話とか、ひきこもりあるあるみたいな話を共有できたらなぁなんて考えていたのが、どうもそういう感じになれない。何か自分の立っている場所が変わったような、そんな感じがあった。

 

自分で自分のことがよくわからない。

何が好きで、何に興味があるのか、何をしている時が楽しいのか、夢中になれるのか、何を大切にしたいのか。

人間関係の数だけ自分があるようで、それを欠乏していては「無」になるより他はないのではないか。だから家と会社の往復だけだと、ひどく虚しく感じられる。

自分のことも、自分の中に何かあるのではなく、関係性の中からしか見えてこないのではないだろうか。よく「他人に影響されずに、自分の芯を持て」みたいなことを聞くけど、自分のことなんてわからなくない?何でも自由に、好きにしていいよと言われても、何をどうすれば、どうしたいのかわからない。

好きなこと。やりたいこと。大切にしたいことなんかは、結局他人の影響を、直接にしろ、間接的にしろ、他人から教わらなければ何もわからないのでは?どんな分野にも先駆者がいるわけでしょ。一人部屋の中にひきこもっていては、自分のことなんて何もわからないよ。

 

 

 

実は母との関係性が一番の問題なのだろうか

母が重い、苦しい、時によっては恐怖すら感じる。

でも所謂「毒親」というわけではないと思う。健全な家庭を知らないので、わからないけど。

虐待があったわけではない。不当に扱われたり、いじわるがあるわけでも、愛情がないわけでもない。「普通」なんだと思う。

だけど苦しい。何が苦しいのか?

心配されることが苦しい。何か少しでもいつもと違う行動を取ると、裏で心配しているようだ。これではいちいち母の目を気にかけ続けなければならない。行動の先読みを強制されてしまう。

愛情が苦しい。頼んでもいないものを買ってきて、「いや、そんなの頼んでない。すでに同じようなものがあるのに、なんで買うのか!」と拒否すると「あんたの為を思って云々」とか「親の愛がわからないの?なんでそんな酷いことを云々」と言われる。

勝手に何かをして、感謝を要求する。期待が叶えられないと、不機嫌になるか批判してくる。親でなかったら絶縁するレベルで不快なことで、長年の悩みである。

自分がいない時に部屋に入られるのも不快である。境界の侵害でしょ。

しかし、親の期待や要求に応えないと、何か自分が非道徳なことをしているのではないかと罪悪感を持ってしまう。親を否定するのは非常に難しい。社会的な禁忌ですらあるかもしれない。それぐらい親や家族の呪縛は大きい。

愛情と心配の鎖で縛られて、身動きが取れない。干渉されることに強いストレスを感じるのだと思う。その都度不審に思われないように石橋を叩いて生きていかねばならないから。自分が神経質なだけなのだろうか。

 

いつまでも母の可愛い子供でいたくない。それは自分を鍛えてはくれず、生きていけなくなってしまう。恐ろしい。

だから母も家族も嫌なんだ。その重力圏内から離れたい。優しさ、愛情、心配で、じわじわと殺されてしまう。

母が「もうあんたはいい歳だし、親の庇護を離れて、いい加減一人暮らしをするべきだ」と良い意味で突き放し、本当に困ったとき以外には手助けや干渉もせず、放っておいてくれたら、心から尊敬するだろう。母にとってそれは一番難しいことだから。

親や家族の結びつきは強すぎる。掟がきつ過ぎる。上手くいっている内はいいけど、一度不具合が起これば、地獄の苦しみになるばかりか、将来を左右しかねない問題になるのではないか。

家族なんて、親なんて、そんなものだよ。親心がわかっていないんじゃないの?そんな軽薄なことばで圧殺してほしくない。

もう長いこと父には会っていないけど、相談したら何を言うのだろうか。

 

 

ここ最近また買い物依存気味になってきた。一人暮らしの初期費用の為に貯金をしなければならないのだけど、上手くいっていない。

日々の仕事の疲れ、家での息苦しさ、どこにも逃げ場が無い。気軽に話せる人もいない。こんな状態で自閉していって、何もできない、何もない自分が重荷になってきて、つい何かを買ってしまう。一時的に何か解放されたような感じがするけど、一瞬なので、すぐにまた次が欲しくなってしまう。

次第に物に囲まれた生活が苦しくなって、ほとんど売るなり、捨てるなりして処分してしまう。スカッとするよ。片付いたって。それでまた・・・。

こんなことを新卒で仕事についた時からやっていて、(狂ったような物欲は、中学時代が一番酷かった)ある種の自傷行為のように感じられてきた。

物欲と衝動だけがあって、もう何に興味があるのか、何をしている時が楽しいのかもわからなくなってしまった。今まで趣味の物を買っていると思っていた。楽しんでいると思っていた。だけど違ったんだ。精々レコードくらいじゃないか、意義があるのは。

しんどい思いをして、稼いでいるのに衝動買いをしては処分をする。何をしているんだ!俺は!?と虚しくてしかたがない。

 

もう正直自分一人の力では狂った人生を修正することはできないような気がする。不安と苦しさだけがあって、自分には何もできない。

助けを借りたいけど、もう34歳といい歳だし、こんなことを相談することも恥じらいがある。ずっとこのままなのだろうか。

 

 

社会にも、家族にも適応できない

何でこんなに疲れるのだろうか。何でこんなに嫌なのだろうか。

今月末に再び弟一家が遊びにくる予定になっている。集団の中にいるのがきつい。明るく、和気あいあいとしている場は特に。家族皆で!そんな世界にはいたくない。なんらかの役割をお勤めしなければならないのが、何かしらの対応を迫られることがつらい。息子でいたくないし、兄でいるのも嫌だ。

母は言う。「そんな暗い顔や態度を取っていると気まずくなるじゃん。もっと会話してよ!愛想よくしてよ!」て。

今日は入院している祖母の見舞いに行ってきた。母は言う。「なんか会話!」何を喋るべきなのか、何を求められているのか、何が常識的な対応なのかが全くわからなくて、少し挨拶をした程度以外には、黙っていることしかできなかった。

 

黙って従っているのが正解だったはずなんだけどなぁ・・・。だって口下手な、空気を読めない奴が発言すると、ロクなことがないことは経験として知っているから。

この人はこういう傾向のある人で、こういうことを考えたり言ったりしがちだから、対応はこういう感じで・・・。とにかく自分から絡むことは控えて、礼儀正しくして従っておけ。それが自分の人間関係のありかたで、サバイバル術なのだけど、ここ最近はそれさえ苦しくて仕方がなくなってきた。

外では愛想良くしたり、礼儀正しくしたりするのは、そういう繕うやり方しかしならないからだ。もっと言うと、これ以上傷つきたくないし、傷つける加害者にもなりたくない。全部自分のためだ。家では自分は神経質な問題児なんだよ。

こうなるともう、ひきこもるしかなくて、でも極力接触を避けてひきこもってばかりいると「なんで避けるのか?感じ悪いじゃん」となってしまう。

避けつつ、避けている感を出さない方法はないものか?と考えてきて、家での昼食を食べるタイミング、トイレに行くタイミング、その頻度など調整してきたつもりだけど、苦しさを誤魔化せるわけもなく・・・。会社では働き疲れて、家ではこんな調子で、逃げ場が無い。

 

それにしてもいつまで子供なんだろうか。周りはなんで自立した大人になっていけるのだろうか。

家族は自分で選んだ関係ではない。そこから逃れて一からやり直したい。やり直せるのだろうか。

誰かの助けがあるといい。だけど誰が手を貸してくれるのか。

それ以前に、自分が何に困って、何に苦しんで、何に傷ついているのか、正確に言語化し伝えられなければならない。それさえよくわからないのだ。

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