一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

自分はもう終わっていくしかないのだろうか

先日、会社の人たちに食事に誘われたので行ってみた。

食事と言っても酒の席ではなくて、近くの喫茶店で4人でお喋りといった気楽なもの。

そこで感じたのは「会話に入れねぇ・・・」ということ。これは3人は10年近い付き合いがあって、自分はまだ入社1年数か月ということも多分にあるけど、それよりも「皆大なり小なり悩みや問題があれど、とりあえず生きていける、自分なりの何かがある」と感じたことが大きかった。さすが、何年も会社勤めができるというか、なんというか。

それはオンラインゲームに熱中とか、家族や友人と過ごす時間とか、趣味など何かやりたいことがあるとかそんな感じで、仕事や収入や将来とか、問題はあるけど楽しいことも多いよといった空気だった。生きている世界が違うなぁ・・・。

今の自分には何も無い。何をやっても楽しくなく、興味や意欲もわかない。人と会ったり、喋ったりしていても相手の何を聴けばいいのかわからない。自分の何を話せばいいのか全くわからない。しんどくなってくる。月~金まで仕事を頑張って、休日はだるいだるいと寝てばかり。金を稼いで、まあ生活には必要だけど、それが一体なんのだろう。なにかどんどん自分の中の何かが消えていって、「無」になっていくような感覚。

何をしたいのか?何に興味があるのか?何が楽しいのか?全くわからなくなってしまった。

疲れているのだろうか?でもひきこもっていた8年前から、こんな感じだったような気もする。疲れでないとしたら、自分はもう終わっていくしかないのだろうか。

毎日こんな調子で、人と話していてもそんな雰囲気がどうにも出てしまって、人と関わるのが億劫になってくる。

 

 

社会の方がどうかしている可能性ってないの・・・?

このところ軟便気味で調子が悪くて、今日は会社に事情を話して内科を受診。

血液検査の結果は来週になるとして、現時点では特に問題なし。病気というより、ストレスや仕事の疲れで腸の働きが弱っている可能性があるとのことで、薬を貰って経過観察。

入社当初は65キロあった体重が今や57キロにまで減って、あきらかに疲れやすくなった。瘦せ型ではあるが、病的ではないと言われたけどホントか!?

夏の灼熱地獄。ここ最近の毎日残業。何度も書いてきた家での人間関係のストレス。これらにやられてしまったのだろうか・・・。

 

最低週5、8時間働くのは当たり前なんだよなぁ・・・。残業くらいあるんだよなぁ・・・。この程度のことができないと生活、というか生きる権利が得られないんだよなぁ・・・。じゃあ、頑張らなきゃ。とか、考えながら働いているけど、皆平気なの!?多少の体調不良を訴えることはあっても、ほとんど休まないんだよ。皆平気なん!?

自分としては、自分の意志で頑張っている反面、周囲の目が恐ろしくてやっている部分もある。休憩時間や帰りの更衣室なんかで時々それが聞こえてきて、いつ自分に矛先が向くか、わからないじゃない。脅迫的な部分もあるような気がする。

ひきこもりの社会復帰だなんて言ったって、結局向かう先はきつく、苦しく、厳しく、金がないと何もできない市場社会だもんなぁ。

 

こうならないために、いっぱい勉強して、努力して、ライバルを蹴落として、良いポジションを得よう!

すると社会の難易度が益々上がって、もっと努力しなければならなくなって、もっと社会に適応できない人が増えて・・・もう詰んでんじゃないのかね。

 

縋っているのかもしれない

それがつらくても、苦しくても、仕事を続ける理由。

働いている限りにおいては、少なくとも「労働力」としての価値が会社にとって自分にはあるだろう。

しかし働けなくなったら、挫折してしまったどうなるだろう。この先一人暮らし(というか実質家出に近いのだが)を決行したら、たちまち困窮してしまう。

働けない人間。正確には金を稼げない、消費しない人間を市場は必要としない。

あの頃がピークだったのだと思う

最後に仕事に挫折してからの8年前までは、9時頃に起きて、昼頃になると1時間半程度の散歩に出る。

暑い日も寒い日も、雨でも雪でも、夏だと物足りなくて2回行ったり、毎日決まって同じ道を歩いて、悩んだり、他愛もないことを考え続けていた。自分にとってはそういう道なんだよ。

夕方の4時には水戸黄門を見て、6時にはおじゃる丸を見る。

おじゃる丸には時々印象深い話があって、皆が真面目になって努力をする話(記憶にある中では2パターンあった)を見て「ええ・・・こんなのおじゃる丸じゃない!」とか思って見ていたら・・・!

もう一つはうろ覚えなんだけど、熱血の植物くんが道路に生えた新芽に向かって「がんばれ!がんばれ!」みたいなことを言っていて、おじゃる丸がそれに水を差す。そうこうしている内に新芽は育ち・・・あっ!!本当にあっ!って声が出た話だった。

 

土曜の同時間帯にはスポンジボブを見る。

自分の脳みそを取り出して、それにプロペラを取り付けて飛ばすおもちゃの話があって、「どんな人生を歩んだら、こんな狂った話が描けるのか!?」と衝撃だった。

昼夜逆転すると徹夜でバイオハザード4に明け暮れたり、ショップジャパンなんかの通販番組を突っ込みながら見たり、中京テレビのクロージングを見たり、中部国際空港やイースター島や熱田神宮の紹介?番組を決まって見ていた。それで夜明けと共にいつもの散歩コースに繰り出していた。

金曜にはデイケアに通って、社会に適応できない同胞たちとおしゃべりしたり、プログラムをやっていたりと、なんとなく外との交流もあった。

 

諸事情で当時は半一人暮らしで、妹と揉めたり、弟には説教されたり、もちろん親からは叱責されたりといろいろあったけど、「わかってる!わかってる!」で乗り切っていた。

幸せの形は人それぞれだけど、自分にとってのそれはこんな程度で十分なんだなぁ・・・と風呂に入りながらしみじみ思った。

今は低賃金でコキ使われる、市場の原理に悩み苦しみ絶望する、くたびれた労働者だよ。すっかり痩せこけて、朝起きた直後の顔を見ると酷いのなんの・・・。

仕事が終わって「家」が始まる

家の中にまで人間関係があるのが、とても苦痛だ。

 

母と職場の同僚である友人と共同で中古の一軒家を買って、当時ひきこもり継続中だった自分が、居候のような形で住んでいるのが今現在の状態である。

あれから肩身の狭さと、母からの追及で働くことを決めて、早1年と2か月あまりが過ぎた。就労継続支援A型という働き方がどうにも気にいらないようで「そんなことで若さを消費してないで、愛知県職員の障がい者枠の募集を見つけたから、これいけ!これ!」との話がしつこいまでに先日出た。曰く心配しているとのことだけど、心配が免罪符になると思っているんじゃないのかね。ちんけな工場作業員より、障がい者枠とはいえ、愛知県職員になった方がハクが付くとかいう「見栄」じゃないのかね。

俺は親の都合で生きているのではない!

一体何の為に毎日きつい思いをして働いているのか。生活費だって出しているじゃないか。自分は一体何なのか。

 

こんな会話が食事中にまで出るから、絶えず二人の様子を伺って、「話を振られないように!振られないように!」と祈りながら俯いて食事をしている。

自分のことなど話したくないし、聞かれたくもない。でも話しかけられたら答えなければならない。その返事に対してあーだ、こーだとくる。踏み絵の様で、苦痛過ぎる・・・。

とにかく避ける。徹底的に避ける。関わらなければ、摩擦はない。もうそれしか方法がない。

もう何年もこんな調子で、時々食器を投げつけて暴れだしたくなる程のストレスを感じることもある。もういっそ暴発して、思い知らせて、近所中の噂になって、全部ぶち壊してやった方が楽になれるのではないかとさえ思う。

さっさと家をでればいいのだけれど、それには「経済的な安定」が避けては通れない。仕事のつらさと給料の安さについては何度も語ってきた。ここの所毎日残業で、疲れ切っていて、いつ心が折れるかわからない。

それでも一人暮らしを決行すれば、関わらなくて済む。問題の片方が片付く。

だからやるべきなんだろうか?右も左もわからなくて不安でしかたがない。誰か教えてほしい。どうしたらいいんだろうか。

 

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