一人舞台

Do you have the time to listen to me whine

ただ苦痛を減らして生きていきたいだけ

相変わらずオンボロの設備は不具合を起こして止まるし、そうでなくとも品数が多くて残業続き。今月はまだ一度も定時で上がっていない。

仕事が終わってちょっと買い物に寄っただけで、もう20時を過ぎる。一人暮らしだとここから、夕食の支度や風呂があるわけでしょ。そんな体力と気力が持てるかどうか。仕事で人生を消費しているような。

 

 

帰り道を歩きながら思う。「苦痛を減らして生きていきたい」たったそれだけなんだよなぁ。無職の引きこもりだった頃が妙に懐かしく思える。まあ、あんなことは長くは続けられないし、そこから身動きが取れないでは、別の苦しさがあるだろう。

 

そんな鬱屈した気持ちを晴らしたいのか、何かを買いたくなる。なんかお金を使うとスカッとするじゃない?だけどそれは当座必要のない物だし、目先の快楽の為に労働地獄を強化するというのか。なんか市場経済の奴隷みたいじゃないか。ということで耐えている。

自分は何がしたくて、何に興味があって、何を楽しめるのかさっぱりわからなくなってしまった。

 

やっぱりねぇ、どうしたって社会に出られない、ついていけない人は出てくると思う。

社会復帰だとか、社会参加だとか、さも共同体に属して皆で協力し合おう!的な雰囲気をまとってはいるけど、それは「市場」なのよ・・・。

 

 

 

CHAPTER TWENTY-ONE EDITS [TBE021]

Bandcampの只今販売中の欄に出てきて、何気なく聴いてみたら「お!ええやん!」とダウンロードした楽曲。

 

thebasementdiscos.bandcamp.com

 

どこの誰か、詳細は全く知らないけど一曲目の「Voilaaa - Bark (Supertaste Disco Edit)」というのが好き。アレンジ元の曲があるのだろうか?

無料で楽しんでね!とあるので無料で楽しんではいかがでしょうか。楽しませてもらっている手前、5ユーロ(800円弱)お布施しておいた。

最近歌詞の無い曲ばかり聴いている。歌詞が無いので内容が理解できないとか、英語わかんないということがないし、集中して良し!流しで良し!と聴き方も様々。

反抗と罪悪感と自己嫌悪

会社でよく休む人が二人いる。一人は会社に行きたくないから仮病を使っていると白状していて、もう一人は精神的な何かかな、わからないけど。

で、翌日または数日後、出社するのが胃が痛い、気まずいとか言うわけだ。いや、だったら会社来てよ・・・。と思わずにはいられない。熱が出たとか、体調が悪くて仕事が困難とか、何らかの用事でとかならいいのだけど。

勿論行きたくない気持ちはわかる。それで休んでしまうのなら、そう決断するのなら「会社行きたくないから、サボって温泉に、山に、海に、美術館に、動物園に、水族館に行ってきた!」くらいのことはやってほしいし、言ってほしい。

休んでおいて、こちらの負担が増えているのに「気まずい」とか「胃が痛い」とか言われてもモヤモヤする。嫌なのだからもっと反抗しろよ!と。こっちは小心者で愚直に低賃金で働いて疲れ果てるしか能がないんだぞ!と。

そして、この反抗と罪悪感と自己嫌悪の中に人間の妙味があるというもの。そういう話が聞きたい。

 

 

 

 

休む人に対して否定的な感情があるのか?確かに業務の負担が大なり小なり増えて、時に残業にまで持ち越すことはあるし、負担ではないと言えば噓になる。

でも否定的か?許せないか?ずるいと思うか?と聞かれると、そうでもない。

寧ろ安心する感じさえある。正直、自分もそうなんだけど休まず毎日会社に来る人の方が恐ろしい。それが評価されるのだから尚更だ。相対的に自分の株が上がる旨味も否定できない。でも足場が高くなればなるほど、落ちた時の衝撃は大きくなる。

組織の中で個人が犠牲になるのはどうしても発生するだろうし、ましてや利益を追求するのが会社なわけだから、どうしようもないのかもしれない。生きづらいし、精神やられるよなぁ、やっぱり。

 

つらいのは仕事そのものより

生き方な気がしてきた。あるいは、逃げ場が無いような。

 

今の会社に支援A型として入って、3年が過ぎた。これまでの反省として、遅刻と欠勤は無いようにしよう(用事や病欠は除く)とコツコツとやってきた。

そうしたら、いつの間にか高いところに来てしまって降りられなくなってしまった。

給料が月給制になり、正社員登用の話もある。喜ぶべきなんだろうけど、その道は自分にとってつらく苦しい道なんだと思う。今だって疲れ果てているし、過去の2回の正社員だって挫折してしまった。

 

本音としては諦めたい。頑張ることから降りたい。緩く生きたい。

だけどもそういう生き方は別の方面で困難だろうし、まず肯定も評価もされないのではないか。

仕事くらいしかすることがなくて、期待や評価が同時に苦しさを生むとわかっていながら、進むしかない。歩みを止めると全てが崩れ去ってしまうような気がするから。

頑張りが評価されるということは、頑張らない、頑張れなくなるともう評価されなくなってしまうということ。

そこしかないのに、そうなってしまった自分に、何の価値があるのだろうか?そんな風に思う。

世の中の競争が自分の子供の頃より苛烈になっているような、生きることが難しくなっているような気がするけど、病んでいく人が増えるんじゃないかな。

 

緩い世界観を、救いや安心を求めて精神科のデイケアに通っているけど、障害福祉的な感じにどうしてもなるよなぁ。

仕事と、というより働き方と、どう向き合えばいいのだろうか

ここ最近本当に設備の調子が悪くて、何度も残業になる話を書いてきた。

一応社長には定時で上がってもいいとは言われてはいるけど、まだ仕事が残っている中、帰ることには抵抗がある。気まずさよりも、自分の仕事をちゃんとやり終わって、その上で「お先に失礼します」という状態にしたい謎の拘り。なんかすっきりしないのよ。もやもやするのよ。

とはいえ、体力的な話も無視できない。業務中はそれほど疲れを感じないのだけど、家に着いた辺りでドッと疲れが出てくる。なんか遅れて出てくる・・・。ああ、やっぱり体は正直だなと思った。

つまらない義務感?頑張っている自分に酔っているだけ?酔っている間は良いけど、酔いは必ず醒めるもの。