一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

つまるところ、何が自分の本当の問題なのだろうか

未だにそれがよくわからない。自分の問題は、とても向き合い難い。

今日は事前に会社に休みを貰って、グループホームの説明を聞きに行ってきた。

大体8~9万円ほどあれば、特に問題なく生活していけそうな感じであったし、不安の一つである「転居を始めたものの、仕事に挫折して費用が払えなくなったらどうするか問題」は、生活保護が取れるので心配しなくても良いとのこと。(本当か・・・)

であれば、さっさと見学に行って、転居すればいい話になる。

なんだろう。一体なんなんだろうか、この消化不良な感じは。あんなに悩んで苦しんでいたことが、あまりにあっさりとし過ぎて「え・・・?」ってなるような。

デイケアの職員さんと話したことだけど、「不安が無いことが不安」なのかもしれない。

なんかの本で読んだのだけど、ドイツの収容所で囚われていたユダヤ人が、終戦を迎えて地獄の様な収容所の生活から解放されて、自由になって、これで人間らしく幸せに生活ができ・・・なかった。多くの人は精神疾患に陥ったり、自決に至ったりした話を何かで読んだ記憶がある。もう一度読みたいのだが、夜と霧だったかな・・・。ともかく、心理的にはこれと似たような状況なんじゃないだろうか。

抑圧が無くなって、自己決定、自己責任の世界に行くことを重荷に感じているのかもしれない。何を根拠に決めればいいのか、引き受ければいいのか。未だにわからない。

 

仕事の面に関しては、業務に問題はあるか?無い。人間関係は?それも無い。

しかし、週5、8時間働き続ける、こんなペースで走り続けるのは苦しくてしょうがない。毎日だるくて、土日も無気力である。デイケアという社会参加の場も気軽には参加できなくなってしまった。自分が悲観せず、安定して働けるのは週4の6時間程度+デイケアのような第3の場を確保することだと思う。

噂程度だけど、社長から昇給の話も出ているらしい。もちろん金銭的にはありがたいけど、このように精神的には不安定で、この夏乗り切れるかどうかもわからない。

「頑張っているから」そりゃあ、頑張っているよ。頑張らないと会社に来れないもん。

でもそれは、「目標を見据えた頑張り」とはわけが違う。いずれ力尽きる頑張りなのよ。

毎日会社に来て、怒られないように言われたことを言われた通りにする。そんな程度の労働意欲しかないのに何故か期待されて、知らない内にハードルが上がってしまう。

正直昇給よりも週4日にしてもらえる方がありがたいし、どう考えても昇給に値する人間ではないし、重いので、角を立てずに断れないものか・・・。

悪く思われたくないという名誉欲があるのよ。評価されて嫌か?と聞かれれば、まあ嬉しいわけだ。他方で、期待に応え続けることも苦しい。この矛盾した状態の中で、身動きが取れず、力尽きて辞めるを繰り返してきた。今回はどうなるのか、まだわからない。

 

 

 

「本当はどうしたいのか?」

時々考えてみる。まず現在の共同生活、家の中にまで人間関係があることが苦しいので、一人暮らしをする。これはワンルームタイプのグループホームに入居できれば解決できる。次に仕事は週4の6時間に抑えたい。そんなあり方を認めてもらえる。更に似たような感性の人たちとの淡い交流の場があれば、生きていることも悪くないと思えて、なんとか生きていけるだろうと思う。

だけども市場の競争において、この希望が実現されることはまずないだろう。

生まれることから、日々の生活、死ぬときまでもが市場、経済、ビジネスに組み込まれている昨今、苦しくても泣いてでも、精神に変調をきたしても、走り続け、倒れても、シャカイサンカ・シャカイフッキしなければならんのよ。働きもせず、生産もできず、消費もしないような奴に価値はねぇ!って。

もうぶっ壊れちまえ!と思いたくもなりませんかねぇ・・・。

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