一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

変な髪形

新しくヘアーサロンが出来たとのことで早速偵察に行ってみた。

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髪形を変えられるって聞くと、プリセットの中から髪形と色を選ぶと思うじゃない。

ところが・・・

 

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このように聞かれ、下画面にはやんちゃ~真面目の度合いをスライドバーで選択するようになっている。

 

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次にこう聞かれてどちらかを答えた後、髪の色をまた「スライドバー」で決めていく。

こうなるとどうなるか全くわからない・・・。

で、適当に答えて出来たのが・・・。

 

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オーマイッ!ガッ!!

なにゆえこのようなことに・・・!!

 

あまりのことに焦ってどうしようかと悩んだ末、リセットを決意。

するとリセットさんが出てきて、お説教をされたわけですが様子がおかしい。

というか、彼とびだせでも登場するのか。

曰く事業仕分けで存亡の危機に瀕しているらしく、今回はボランティアでの参上、彼の未来は村長の手に掛かっているのだとか。

妙に下手な彼を見ると切なくなってくる・・・。e+の「初回」とはわけが違うのだ。

 

これは初期装備にこんな髪形を与えられたら悲劇以外のなにものでもない。

ヘアーサロンができるまで結構時間が掛かるし、お目当てな髪形になるのかどうかは、やってみないとわからないという・・・。

まあ、チャレンジ精神あふれる人には面白いかもしれませんが「元に戻せる」選択肢を与えて欲しかったところです。

自分は運が良かった・・・。ただ髪の色だけもう少し暗くしたいのだが。

 

それはさておき、母校の小学校の前を通ると、生徒が体育の授業で竹馬の練習をしていた。

自分も乗れる皆が羨ましくて一人で練習していたのだが、ついに乗ることができなかったなぁ・・・と、そんな事を考えていた。

親が死んだらどうするのか

もう何度、何年前からこう言われたことだろうか・・・。だからハローワークに行けとか、自立しろとか説教をされたわけですが、いつも思うのは本当に自立を望んでいるのだろうか?ということ。

心の底から何とかしてほしい、できないだろうかと考える人が、このようなことを果たして言うのでしょうか?やる気になるとでも本気で考えているのでしょうか?本当に疑問です。

何の役にも立たない、互いに嫌な気持ちになるだけ。

きっと全国3万人近い人が同じ事を言われてるのでしょう・・・。

 

それにしても自分の様な人間にとって、自立とはなんと難しい事か。

それ以前に「まず仕事を続ける」もしくは「続けられる仕事を見つける」あるいは「続けられる人間になる」と、世間にとっての当たり前の事がものすごくハードルが高い。

ニート、引きこもりの脱出の話が出ると、大抵ある人との出会いがとか、コレが切っ掛けでとか、なんとなくやっていたら上手くいったとかいろいろあって、親にも相談に行けと言われますが、こっちはもうそういう神話を信じる気になんてならんのですよ。

最初に挫折した時からバイトをやった、職業訓練にも通った、方々の支援施設も頼った、心の相談にも通った、再び正社員で働いてみるも、全て箸にも棒にも引っかからなかった。誰も大して話なんて聞いてくれないじゃないか。

何故いつも嫌な方へ嫌な方へとフラフラ歩いていって、案の定挫折し続けるのか。

自分でもバカなのではないかと思えてくるくらいである。

 

明日選挙の期日前投票にでも行こうかと考えていたのだが、候補者の公約を見ると、どこどこにこれを作りますとか、子育て世代が活躍できるようにとか、高齢者が安心できるようにバリアフリーをとか、そんなのばかりで何だか違う世界の話みたいに感じられて、全く投票する意欲が無くなってしまった。

世間にとって、引きこもっているような連中は眼中に無いという事なのか・・・。

全ての人が暮らしやすい街づくりを!と連日のように爆音暴力放送を垂れ流しているが、なんと白けることだろう。

例えば、ベーシックインカムを実現します!とか、ダメ人間でも働ける緩い仕事を作ります!とか公約にあげてくれたら即行で投票するのだが・・・。

時間はどうするのか

一般的にニート、引きこもりの脱出がテレビ、ネット、本などで語られるときって、潜在一遇のチャンスを掴む以外だと、就労支援施設、ハローワーク、アルバイトとかに集約されるように思う。

過去何れも経験し、何れも苦しくなって辞めてしまったり、あんまり取り合ってもらえなかったり(就労支援事業所に通っていた頃、一時やる気に満ちていたこともあって、ああいうのは!?こういうのは!?どうでしょうと相談したり、アイディアを沢山紙に書き出して見せたにもかかわらず、「お!凄いですねぇ!」だけで終わってしまったのは悲しすぎるでしょう・・・)で現在に至るわけですが、自分にとっての出口はこんな所しか本当に無いのだろうか・・・。ずっと悩んでいる。

 

 

時々何かイベントみたいなのが欲しいなぁと思うことがあって、友人にスマブラで対戦しよう!と誘ったのだが、「残業や休日出勤がキツくて、自分の時間が殆ど取れていないんだ。申し訳ねぇ・・・」と断られてしまった。

数年前の自分が全く同じ状況だったし、子供の頃の僅かな記憶を辿ると父もそうだったように思う。

残業代がつくからいいじゃんとは自分も良く言われたことですし、確かに金があれば美味しい物を食べたり、旅行に出かけたり、好きなものを買い込んだりできるわけですが、「その為の時間や気力」は果たして金で買えるのでしょうかね。

仕事の得意不得意

これまで働いてきてつくづく思うのは、例えば今任されている仕事が10あるとしましょう。それで現状特に問題なくできているのがその内の6。後の4はどうにも上手くできない、あるいは苦痛であるとしましょうか。

そういう時に会社の事情もあるでしょうが「いくら任せてみても一向に進展が無いのであれば、残りの6及びそれに近い仕事に専任し成果を上げてもらう」という風にならないこと。

 

思えば自他共に認めるダメ人間で、いつも怒られていた自分でも、特に問題なく、あるいは評価されていた部分がちゃんと存在した。

だけど、残りの4がどうしても何度やってもダメで、そのことをもってして上手くいっていた6まで包み隠してしまって「仕事のできない、任せられない奴」という評価になってしまっていたように思う。

この分野の仕事に専念出来たらなぁ・・・といつも悩んでいたし、ひょっとしたら仕事を続けていけていたかもしれない。

それも「社会人、仕事とはそういうものだ!甘えんな!苦手なんか克服しろ!」と言われてしまえばそれまでですが。

以前、実際に従業員の得意不得意を見て、その都度任せる(曰く、誰かが苦手な嫌な仕事でも、聞いてみるとそれが特に嫌じゃないと答える人がいることがきっかけだったとか)仕事を変えてみることを実践している会社がちょっと話題になりましたが、圧倒的少数でしょう。

 

 

 

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