グループに参加していても、生きづらい人特有のほろ苦い話の一つもなく退屈なので、ここで自分語りでもするかな。
前職で信用を失った話。
製品の検査を終えたらロット番号を押していき、その数とロット番号をノートに書き留め、一定の数が終わったらロットと記述を変えるという少々複雑な仕事を任されていた。
過去3回それぞれ別な箇所を間違え、上司を怒らせてしまっていた。
その4回目。「今度も君に任せることになるけど、もういい加減頼むよ!?まあ、あれだけ怒られてたから大丈夫かとは思うけど」と任されたんだね。
本当に気をつけなければいけない。この件だけじゃないし、もういよいよヤバいぞと焦っていた。
だけど過去の間違いはちゃんと覚えていたし、そこを重点的に注意していて、間違いはないな?大丈夫だな?と繰り返し確認もしていた。
「過去の間違いは覚えているし、確認もした。他も確認したから大丈夫だ」
思えばその確信がいけなかった。確信してしまうと疑問を感じなくなる。
大丈夫だった?と聞かれ、大丈夫です!と自信満々に答え、じゃあ確認するからノートを見せてと言われ、その数秒後「これどういうことか説明して?」と言われた時は本当に青ざめた。
上司も最早怒るというより不可解といった様子で「何故彼は来る日も来る日も怒られ続け、何度注意しても繰り返すのだろう。こいつは一体何なんだ!?」みたいな感じだった。
あの瞬間完全に崩れてしまった。
その後どうなったかというと、もう信用できないから今後一切の仕事を他の人に聞くことを禁ずる。課長である自分にすべて聞きに来い!いかなる事情であれ、異論は一切認めない。君の仕事ぶりを一から確認する必要があると。
退職の旨を伝えたのはそれから半年後だった。
いい加減な態度で仕事をすることも、正直に言うとあった・・・。
慣れてくると「ちょっとくらい手を抜いても・・・」と魔が差して、速攻バレて激怒されたことも何度かあった。
でも、それはいい。これこそ正に自己責任。然るべき罰を受け、ちゃんと反省して真面目に取り組みました。
でも、真剣にやっているのにどうしても上手く出来ない時が確実に存在する。
あんなに怒られて、もう同じ失敗は繰り返さないと固く誓ったのに発生してしまう。
逆にそこを意識し過ぎて足元が見えていないのかもしれない。
メモを取るなり、目の前に貼るなりして対策はしてみるものの、そのメモを見る習慣がないために忘れ、いつの間にかメモを見ることが課題となってしまう始末。どこに行ってもそうなんだ。
そんなもんだからテレビやネットで大小様々なハンデを抱えつつも、周りの助けであったり、強みがあったりで上手くやっている人の話を見るのが堪える。他の人は勇気づけられるのだろうか。
いろんな場所に顔を出してはみるものの、全くと言っていい程次へ繋がらない。
思うに他者のそういうことを心の底から喜べるのは、充足し、余裕のある人だけだろう。そして、自分には「その面での」余裕がない。
これに限らず、忙しさや、心理的余裕の無さが人の心を狭くする。我慢に我慢を重ねているから他人の振る舞いが許せなくなるんじゃないかと。そして下へ下へとお互いの足を引っ張り合うのさ。
環境さえ合っていれば、また違った結果になったんだろうか。
そうだとして、どうやって探し、見つけていけばいいんだろうか。
相談しても聞いてもらえず、ハローワークにそのような求人なんかなかったよ。