一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

同じ土俵で戦っても勝ち目は無いです

なんだか時間が立つのは早いもので、明日もまた就職支援施設に行かなければならない。

嫌なんだけど、前回のこともあるし、予約した責任があるので行かないと信用問題に関わってしまう。

誰だって助けを求めてそういう場所を頼るわけじゃないですか。それが既に苦痛とは何たる皮肉か・・・。

他所でも言われるように「自分に出来る事から、少しづつ努力をしていく」とね。

でも、「行きたくないけど腹を括って行く」なんていう努力は誰も努力としては認めてくれないし、苦痛であることを話しても誰も聞いてはくれないであろう。

職員の対応も実にあっさりとしたものである。

で、腹を括って一歩を踏み出しても、取り立てて得る物は無かったというのがお約束である。

 

これ以前から頼っていた就職支援施設もそうだし、去年の病院のグループもそうだし、参加する連中は何を考えているのだろう。苦痛ではないのだろうか。

すらすらと与えられた課題をこなしていけるのだろうか。

出来る人、さして苦痛には感じない人が前へと進んで行き、そうでない人はずっと落ちこぼれ続けていくのではないか。もう、学校からそんな感じでしょ。

どうしろっていうんだ・・・。

 

ゲームボーイアドバンス版トップギア・ラリー

ゲームボーイアドバンストップギア・ラリーについて

動画を見ていて興味が出たのでトップギア・ラリーSPを入手。

似たようなゲームのV-RALLY3が9800円だったのに対し、こちらは500円・・・。

なんだこの温度差は・・・。それはプレイしてみてわかった。

 

 

 

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まず驚くべきはそのグラフィック!

GBAのレースゲームは2Dが殆どだと思われるが、こいつは車は勿論、恐らくコースもポリゴンで再現!非常に立体的なレースが楽しめてしまうのだ!

 

 

 

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が、それだけだった・・・。同時期に800円で、同じくコースをポリゴンで作った意欲作のセガラリーGBAも一緒に買って、これはセガラリーを超えたか!?なんて思ったが、どうもグラフィックで力尽きた感がある・・・。

 

 

 

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しばらくプレイして思ったのが、なんだか非常に単調、作業的である。

どのコースも景色が変わっただけで、同じような感じで走れてしまう。

大まかに分けて、緩いコーナー、きついコーナー、ヘアピンとあるんだけど、そのどれもが、どのコースでも同じような角度、長さであるが故に一旦覚えてしまうと、合わせるだけの作業になってしまって、ほぼこれだけで攻略できてしまうのだ。

イージーライト!「はい!こう」

ミディアムライト!「はい!こう」

エクストリームライト!「はい!こう」

こんな感じである。指示を頼りに難所を切り抜ける、あの感じは無いです。

なんかこう、ないのか!複合コーナーを切り抜け、達成感を覚え、ヘアピンが来たときには「うおぉッ!!」みたいな感じがないんだよ・・・。

セガラリーGBAにはあるんだよ!

 

車の挙動ももっさりしていて、なんだかサスペンションを非常に緩くしたような、ふにゃふにゃとした挙動でイマイチ面白くない。

後、やたらケバケバしい蛍光色の車のデザインはなんとかならなかったのか。

 

路面の状況も豊富ではあるのだが、どれも似たような感じで体感できるほどの差が無く、何より致命的なのが効果音が無い・・・!

いや、正確にはあるにはあるんだけど、大きく車体が傾き、滑った時にしか出ないのである。

つまりストレートや緩いコーナーだと、エンジン音の「ブ~ン」しか聞こえないのである。

その「ブ~ン」もスカスカな音で迫力が無い・・・。セガラリーはもっと「聴ける音」なのだが。

盛り上がらない・・・。どのコースも宙に浮いているみたいで盛り上がらない・・・。

単調で退屈だ・・・。

 

 

 

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何かでこんなような経験をしたなぁ・・・と思いを巡らせると、昔父の実家に遊びに行ったときに、車のフロントパネルやらハンドルやらシフトレバーがついて、スクリーンに映った見下ろし方の車を操作して遊ぶおもちゃがあったんだけど、あれだ!

あれの感覚に近い!あれの3D版がこれだ!

 

「グラフィックばかりに拘り、肝心のゲーム部分が御粗末だ!」なんて言われる昨今ですが、その典型な気がする。

アップダウンの表現は中々優れているとは思うのですが、やはり評価を覆すには至らず。

結局、当初イマイチだと感じていたセガラリーと比べて、セガラリーの方が凄い!さすがゲームを作るとは何たるかを心得ている!

ラリーゲーは流行らない。セガラリーで覆す!

ロボゲーは流行らない。バーチャロンで覆す!

NASCARゲーは流行らない(って言われていたのかはわかりませんが)。デイトナUSAで覆す!

やっぱりセガは期待を裏切らない!とセガラリーの当初の評価を覆す、伏線みたいになってしまった。

 

絶望的につまらないかと言えば、そうでもなく。といって良作とも言えない微妙な立ち位置のゲームというのが感想です。

それ故に「こんなクソゲー二度とやらんわ!」と切り捨てることも出来ず、なんだかなぁ・・・。

 グラフィックは間違いなく綺麗であるし、フレームレートも比較的滑らかなんだ。

後はコースごとの特色を出し、効果音をもうちょっと頑張ってくれればいい感じになるとセガラリーGBAをプレイしてみて思うのだが・・・。

不器用なくらいが人間味があっていいじゃないか

絶対!!嘘だ!!

 

「何故自分はこんなにも苦痛に感じて、周りの人達はそうでもなさそうなんだ・・・!」と感じた事はありませんか?

頑張れるだけ頑張ってみるも、嫌な事を嫌々、苦痛な事を苦痛なまま努力しても益々嫌になるだけで、徒労感だけが残り、やっぱり周りは平気そうな顔をしているのです。

 

「理解される」ことは到底不可能だとしても、話すだけ話してみて「自分は別に何とも感じない」或いは「良くは無いけど、と言って苦痛という程でもない」と返され「自分が出来るのにお前が出来ないはずはない!甘えだろう!」といった感じに押し込められてしまうことはないでしょうか・・・。

 

「人それぞれ」だとか「完璧な人なんていない」とか「誰にでも得意、不得意はある」とか「ちょっとくらい不器用な方が人間味があって良い」などと宣いますが、じゃあ実際どうかって言うと・・・理不尽だよね。

今が一番ホットだ!!

週末の夜という事もあってか、おびただしい程のサインが・・・!

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PS3版を末期になってから始めたので、驚愕である!
なるほど。ホストを求める亡者がひしめき合っているのか!
これ程だと、ホストの数が足りていないのではないか!?
こういう光景を見ると誘惑に駆られてしまうが、彼らは気が良く遊びに付き合ってくれる人たちなんだろうか?
あっちこっち探索したり、プレイが下手でも「ええよ、ええよ。後ろは任せておけ!」と託せる人たちなんだろうか?
サインと名前だけではそこまで判別できないところが何とも・・・。

嫌なことばかり

朝、いつも母校の小学校の前を通るたびに、体育の授業を行っている。

ハンドボールなのか、ベースボールなのか、ソフトボールなのか、野球なのか、あれを何て呼べばいいのか知らないけれど、見た感じ皆楽しそうにやっているが、自分は死ぬ程嫌いだったなぁ。

そもそも興味が無かったし、未だにルールがわからないし、出来るヤツが仕切ってドヤされるし、後々になってくると「ルールを知っていることが前提」「出来る事が前提」になってしまって、ロクな説明や練習が無いまま、授業全体が適当にグループを作って後はそれをやっといてみたいになってくるんだよ。

これ以外にも数々の大変理不尽で心苦しい思いをして、小中高を通して、本気で体育の授業を恨み続けた学生時代だったように思う。

 

そしてこれも当時でもよく見られた光景だったが、体が弱いのか、体調不良なのかわからないけど、一人や二人いつも遠くで皆の授業を眺める人がいるもんだ。今日もいた。

別に彼らを非難するつもりはないんだけど、自分もどれほどのそのポジションを切望したことか・・・。

 

一見長閑な授業風景に見えて、早いともうあのくらいの年齢から上下関係、陰湿ないじめなんかが横行していたりするんだろうか。前にもニュースで見たことがある。

生きづらい世の中だよなぁ・・・。

 

話は変わり、また数日後に就職支援会社へ行かなければならない。この前休んだから尚更である。

行く事が大変苦痛であることはハッキリしているのに、行ったからと言って、何か良かったことはあるのか?成果はあるのか?と聞かれても、現状何も無いのが悔しいやら悲しいやら・・・。

何をしに行っているのか自分でもわからなくなってくる。

「やらされている感があるから苦痛なのではないか?」と以前職員に指摘されたけど、正しくそうで「主体性」が無いんだよ。

好きな事や、やりたい事ではなく「やるべき事」を見つけることができれば動き出していけそうな予感はあるのだが・・・。

 

今、支援を頼ろうかと考えている皆さん。行けば何とかなる。親身になって話を聞いて、手助けしてくるれるなんていう甘い話はまあ、何処かにはあるかもしれないけど・・・やっぱり無いと思います。

難儀な事だが、仕事の前に支援施設での過ごし方を「努力する」必要があるのだ。

大体人助けなんて割に合わないでしょうし、受動的な人は職員に気に入られない限り、ほっとかれる気がする。

主体性を会得した者のみ次へと進んで、自分の人生を形作っていけるのではないだろうか。

さもなければ「しょうがない」「仕方がない」「きっと必要だから」と妥協、我慢、見て見ぬ振りをし続ける道を歩み続ける事だろう・・・。

ずっと従うか、我慢するかの人生であったけど、もし変えることが出来たとしたら・・・。

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