一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ストレス寄生虫

好きな事で生きていくのは難しいことですが、「嫌な事で生きていく」のも同じか、それ以上に難しい事だと感じております。

嫌なことを嫌々やっていても益々嫌になるだけで、所謂「成果」を得られることはない。

なぜなら嫌な時点で、意欲や機知が出るわけがないし、嫌だと質などお構いなしに早く終わらせるか、逃げるか、そもそもやらないか、いずれかの選択肢になるでしょう。姿勢そのもが消極的なので周りからの信頼や評価もだだ下がりの悪循環。

それに長い間「嫌」に浸かっているとだんだん邪悪な知性が芽生えてくる・・・。

仕事に手を抜いたり、省略して早く終わらせたり、イライラしたり、何かと不寛容になったり、仮病を使って早退したり、休んだり。最終的には会社の手前までは行けるんだけど一歩が・・・からの退職になります。

 

何故嫌だと逃げ出したくなるのか・・・思うにストレスに対する脳の拒絶?防衛本能なんじゃないかと思えてくる。

脳が「これはやばいな・・・!」と信号を出すんですけど、理性でねじ伏せるじゃないですか。それが大人の社会人の対応、出来て当たり前だと。よくよく考えると凄いことだなと。

 

そこまで考えて、あるいは寄生虫みたいだとも思った。

ハリガネムシっているじゃないですか、最近までバッタやカマキリに寄生する、線虫程度にしか認識してなかったんですけど、恐るべき事実が・・・。

ja.wikipedia.org

ストレスという寄生虫に脳が寄生されるわけですよ。そうすると何らかの物質を出して、仕事から人間関係やらから遠ざけるように仕向けるわけですよ。でも、本人に自覚はないという。

 

世の中努力だ!我慢だ!とか楽することが悪事みたいに言われますが、やっぱり長い人生をサバイバルしていくには、「何だったら、どうやったら自分は楽に動けるのか?」それを真面目に考えていく必要があるように思います。

自分も高校に入った時点で、考えて、探求するべきことだったように今にして思う・・・。

 

再びアナログスティックの修理

遊びの範囲が妙に大きい・・・その理由とは?

前回もPS2の謎コントローラーのアナログスティックを交換しましたが、今回は別のコントローラーのスティックが不調になったので、こちらも交換。グラついて、意図しない入力がされてしまう症状。

左スティックの配置がXBOX360と同じ配置になっている珍しいPS2用コントローラー。

スティックをメインに使うなら一考の価値ありで、秒間20連射もおまけで付いています。後は感度調節があってくれれば・・・。

 

部品が届いたので早速取り付けたのはいいのだが、感度がおかしい・・・。Joy Tokeyで確認すると、わずか数ミリ倒しただけで、最大入力になってしまうのだ。後は無反応という・・・。これでは十字キーと変わらないじゃないか。

繊細な操作の必要ないゲームならいいかもしれないが、自分がやるのはレースである。これではハンドル操作など出来るわけがない。

 

 

 

分解してみると

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オレンジが元々付いていたやつで、緑が今回注文した部品。

中心の黒い接点部分が、緑は上の方が欠けているじゃないか。これが原因なんだろうか?というわけで、この部品だけオレンジを取り付けると改善したが、グラついて微妙に入力される問題は相変わらず。

 

 

 

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因みに以前間違えて注文したアルプス電気製の高品質なスティックと比べてみると、はやり丸い。欠けてない。しかしこちらはPS4用の小さいタイプなので使えず・・・。

 

 

 

とりあえず、真ん中の部品だけ変えてみた。

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これで入力に関しては、一応上手く改善できたのだが、部品本体のセンターがそもそもズレているのか、精度が悪いのか、戻りきらないことがしばしば・・・。微妙に下に入力されることがある。はっきりとした原因がわからないから、どうすればいいのかよくわからない。

ついでに接点グリスを塗って、耐久性の向上と、接触不良の改善を祈願

どうも品質にバラつきがあるようで、前回同じ店で注文したときは、感度は問題無かったものの、入力した際の動き?が少々歪だったし、2個注文したんだけど、両者でスティックの感触の固さが違うものだった。

この部品、もうアルプス電気は取り扱ってないようで、HPを見てもカタログには載っていなかった。

現行品はPS4用の一回り小さいやつしかないようだ。(一応もう一つあるけど、センターピンの形状の都合上使えないだろう)

 

 

 

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元々ついていたスティックはセンターピンの形状の都合で使えなかったので、半年程前に買ったはいいがサイズが合わず、持て余していたメタルスティックに交換。こんな形で出番が来るとは・・・。

ただ、サイズがXBOX360PS4用の根本のカップが小さいタイプなので、少し隙間ができます。まあ、今更取るに足らんことだ。

こんな結果になってしまったことを考えると、果たして交換する必要性はあったのかどうか、疑問に感じてくる。(実際にプレイしてみた感じは、一応問題なく使えるんですけどね)

質の良いパーツが手に入りにくい世の中になりつつあります。操作が絶望的でない限りは、そのまま使い続けた方がいいのではないかと思います。

ひょっとしたら接点復活スプレーで治るかもしれないので。(今回の場合はダメでした)

差別感情の哲学より3

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一冊の本から得られる情報を全て理解出来たら素晴らしい事だと思う。

だけど自分に理解できるのはその内のたった数パーセント。しかし、その数パーセントが自分の世界観に与える影響は少なくない・・・かもしれない。

そうであるならば、時間をかけて読み進める価値は十分にあるだろう。

いい加減引用ばかりしていてもしょうがないので、この一番長い「気になった箇所」を最後としましょう。(多分・・・)

打ち込んでいくのが大変だけど、どれも必要な文に思えて省略の判断がとても難しい。

 

 

 

(西洋型)近代社会の残酷さは、「個人主義」という名のもとに、各個人の知的・肉体的能力の差異を認めたうえで、フェアな戦いを要求することである。
フェアに戦えば、もともと能力の優れている者が勝つこと、能力の優れていない者が負けることは当たり前であるが、あらゆる差別に対して神経を尖らせながら、こうした能力差別については問題提起しない。

しかも、負けた者、成果を出せない者が、自分の能力のないことを理由にすることさえ、許されないのが実情である。
「その前に君は努力したのか?」という問いがいつも控えている。
そして、本当の所は誰も信じていないのに、努力すれば必ず報われるという神話がまかり通っている。


これは考えれば考えるほど残酷な事態である。不美人がどんなに努力しても美人には太刀打ちできないし、鈍才がどんなに努力しても秀才にはかなわない。
しかし、それを知りながら、恋愛感情において、入学試験闘争において、それを理由にすることがほぼ禁じられているのだ。
それを理由にすること、そのことが「負け犬」とみなされるのだ。
たとえそうであっても、「努力せよ!」という鞭の音が聞こえてくるのだ。
実は、各人間の生まれつきの肉体的・知的格差(「人間的能力格差」と言えるであろう)は、火を見るより明らかなのに、それを不思議な仕方で見えないようにして、皆取りつかれたように「努力、努力」という掛け声だけを発するのである。
こうした残酷な状況を子供たちはすでに体の底から学んでいる。その岩のような欺瞞の前に身をすくませている。
Aちゃんは目が覚めるようにかわいくて明るくそのうえ成績も良いのに、私はブスで暗くて頭も悪い。
皆それを知って、Aちゃんをちやほやし、私から顔を背ける。それなのに、私は不満を訴えてはならないのだ。
訴えた瞬間に皆から腹を抱えて笑われるのだ。そしてこの格差が死ぬまで続くのである。それなのに、私はこれを問題にしてはならないのである。

 

昨年夏、秋葉原で通行人を轢き殺した男(K)は、彼をいささかも擁護するわけではないが、こうした叫びを代弁したものだと私は思っている。
そして案の定、あらゆる報道機関においてあらゆる学者・評論家。コメンテーター達は彼に猛烈な批判を浴びせていた。
彼らは口裏を合わせたかのように、「同じように苦しんでいる厖大な数の人が立派に生きているのに」と喋りまくっていた。
決して「同じように苦しんでいる厖大な人の苦しみを改めて問題にしよう」という向きに舵を取ることはなかった。
こうしたはなはだしい欺瞞を聞ぎつけて2ちゃんねるをはじめとする裏ネット社会において、Kが英雄として祭り上げられたことは、多くの若者たちがKの提起した問題を敏感に察したことを示している。

百万人にも及ぶと言われる「ひきこもり」や、年間三万人を下らない自殺者や、加速度的に増大する鬱病者たちは、こうした努力社会の正真正銘の犠牲者ではないかと思っている。
彼らは努力に疲れたのではない。努力してもダメだと言ってはならないことに疲れたのだ。
いわば、近代社会の残酷さの真実を見てしまったのであり、それは真実であるから、目を逸らせることが難しいのである。
「それはおかしい!」と叫びたくても、叫ぶことさえ禁止されて、自分を責めることに邁進していく。
差別問題においては、身体障害者精神障害者被差別部落出身者・在日韓国朝鮮人性同一性障害者などに対する「特権化された差別」と並んで、こうした見えない差別がじわじわ浸透している。
こうした差別は、特権化された差別に比べて無限に「些細な問題」に見え、しかも近代社会の基本枠に関わるがゆえに、社会制度的解決が難しい。
我々は努力しない人に向かって、肯定的評価を下すことは難しい。
といって、フェアな戦いを拒否し、裏工作する人を軽蔑しないことは難しい。
社会不適合者は、フェアに戦えば負けることは目に見えており、といってちょっとでもアンフェアを持ち出せば軽蔑され、場合によっては罰せられる。
しかも、ここにはいかなる差別もないとみなされている。これほどの過酷かつ欺瞞的な状況があろうか?

 

 

 

自分にしてみても、会社で働くことがつらくてしかたがなかった。

何回教わっても仕事を上手くこなすことができなかったし、うっかりミス、物忘れも頻発し、メモを目に付く所へ張っても「メモを見るという」課題を増やしただけだった。

朝も大変苦手で学生時代から、いつもギリギリまで寝ていた。

「仕事さえ!仕事さえなければ、自分はこんないい加減で、やる気の無いダメ人間などと思われずにすんでいたのに!自分のことなど知られることも無かったはず!仕事が自分をダメ人間にさせているのだ!」そんな風にも考えていた。

周りを見ては、「あんな風にならなきゃいけないなんて、自分には無理だ・・・」と何度思ったことだろう。

世の同胞の中にも社会復帰と称し、働きに出て、その様子をネットで報告している人を見かけるし、「今の、これからの自分には必要だから、頑張っていこう」と前向きに考えていればいいのだけど、そんな人は稀で、やっぱりつらいんじゃないか。

こんな状況下で「他の人も頑張っているのだからお前も・・・」なんて言われたら、大層やるせない気持ちになることだろう。

 

今までの失敗経験の中には、確かに自分の態度が問題だったことも勿論あった。その後激怒されて、反省しました。

だけど、それと同じくらいどうしようもないこともあった。とにかくつらかった記憶しか残っていない。この状態で一歩を踏み出すのは物凄く勇気のいることだし、勇気を振り絞ったからといって、上手くいく保証はどこにもないのである。

一番つらいのは「もう無理です。出来ません。」と言えない、それを封じられた空気だと体感的に思う。

差別感情の哲学より 2

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引用することの是非はいろいろあるとは思いますが、読んだ時にはいまいちわからなかった事でも、文字にして打ち込んでいくと意外な程すんなり入っていくのがわかる。

(単に集中して読んでいなかっただけかもしれないですが・・・)

ただちょっと気になるから、後でブックメモを作るためにブックマークしておいた箇所の二つ目。かなり長いですが・・・。

 

 

 

差別意識を持たないことが殆ど不可能であるのは、小学校の頃から、「よいこと」を目指すよう教え込まれているからである。
清潔であること、規則正しくあること、勤勉であること、傲慢であってはならないこと、弱い者を助けること、こうした価値を教え込まれた子供が、これらを目指していない者を蔑むようになるのは自然である。
勤勉であることを子供に進める場合、勤勉である者を褒め、勤勉でない者を叱りながら、同時に勤勉でない者を軽蔑してはならないと教えること、様々な知識を覚えさせ、考え方を習得させ、テストをしながら、できる子ができない子を見下してはならないと教えることは、極めて難しそうに思われる。
田中克彦は、この構図をよく見ている。

 

このような制度の外にある、あるいは「制度によらない」差別こそ、差別の最高の形態である。
なぜなら、制度による差別であれば、制度を解消することによって解消することができるが、意識にもとづく差別の場合、その意識を変えるには、意識という、最も厄介な相手を敵にまわさなければならないからである。
意識は、利害損得に関わるだけでなく、倫理観や、美意識に関わってくる。
なかんづく、後者の改造は、ほとんど人間の手には負えないものである。
こういう差別こそ、本来の意味において、イデオロギー的と呼ぶことができると思う。
こうした制度外の圧力は、時に「趣味」と呼ばれるものと一致します。
だから高い趣味を持っていると自らたのむ人ほど差別人間だということがよく起こります。
(「差別ということば」明石書店)

 

差別問題と取り組む多くの人は、何故この極めて難しい問題を直視しようとしないのであろうか?
教師も親も子供たちに「よいこと」をするように教育し、その成果の上がった子(A)を賞賛し、しかも同時に、Aにそれを習得できないクラス仲間を軽蔑するなと教える。Aは理解に苦しむであろう。
もっとも、この超難問も解決されているかのような外観を保っている。何故か?
賢い子供は、相対的に見て、何が得であるかも学ぶからである。
勤勉であり、勉強のできる子は、同時にそのことを誇ってはならないことを学ぶ。
誇らなければ、ますます自分が得をすることを知っているからである。
だが、その場合Aは劣等なクラス仲間を外形的には軽蔑しないかもしれないが、心の内で彼らを軽蔑し続けるであろう。
そうでなくとも、少なくとも自分は彼らより優れていると誇るであろう。
成績も悪く、素行も悪く、怠け者であるBを、それでも「人間として」尊敬しなさい、という教師の言葉は、果たしてどのくらいの子供たちの心に訴えうるのか、真正面から考察する必要があるように思う。

 

 

 

これまで自分は差別感情を持っていない、持たない人間なんだと、どこかで考えていたのですが、正に自分は真面目にやっている、ルールにしたがっている、頑張っている、そういう感情から差別感情は生まれてくるのだと、気づかされる。

考えてみれば、そのようなことであれば幾らでもあったし、前にも書きましたがコンビニ店員のアルバイトの一件を思い出す。

普段行くコンビニに、新しく自分と同じくらいの年齢の人が慣れない手つきで一生懸命仕事をしていた。

その時も今も自分は無職なので、「自分と違ってこの人は偉いよなぁ・・・」なんて考えていましたが、そこでふと思ったわけです。

果たして高校卒業以来、あのまま例の大手企業で正社員を問題なく続けていて、となるとそれなりの役職にはついていたかもしれないじゃないですか。同じ光景に出くわしたら何を考えたであろうか?と。安心するだろうか?こうならなくて良かったと思うであろうか?と。

考えれば考えるほど、どうやっても道徳的に生きることは不可能だと思えてならない。

何の役にも立たない挑戦 2

あれから数週間が過ぎただろうか、やはりというか実際のところ数時間程度であろうし、その程度の時間では大した変化は起きなかった。

ギターで言えば、例の曲を毎日練習し続け、1、2小節と最後の13、14小節を暗記できたのでいちいちHPを開かなくても、ギターさえ構えれば即練習可能!自分にとってはこれは大きい!後はストロークが以前より引っかかりが少なくなってきた気がする。

当座の目標は「全ての音を鳴らすこと」演奏ではなく「鳴らす」こと。

鳴らすまでだったらなんとかいける手ごたえを感じるが、演奏となるとそこからスピード、精度を上げていかなければならないので、相当時間が掛かるであろう。

なんだろう、曲を演奏するっていうのは、ゲームで例えるとワリオランド2のホントの最終話!である。これまで培ってきた技の全てを総動員させて攻略に挑まねばならない!果てしなさ過ぎる・・・。

音をリズムで繋げて、曲にできる日はいつの事なんだろうか。

 

途中「ボサノヴァカッコいい!」と、さらに練習曲を増やしたが、こちらはコードチェンジさえ正確にできれば演奏できると確信する。

毎日練習はしているのだけど、未だコードチェンジで指が止まってしまう。

これが出来るようになると、かなり世界が広がる気がするのだが・・・。

 

弾銃フィーバロンはアーケードモードでは初めて4面に突入!

が、すぐにノオォォォウゥゥゥッ!!

何ノオォォォウゥゥゥッ!!したらクリアできるのか、カウントしてほしいところである。

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3面のボスが熾烈でボムのゴリ押しになってしまうのが悲しいところ。

というか、早くも2面道中から攻撃がかなり熾烈になってくる。

同社の処女作で、頑張って1周クリアし、比較的難易度の高いとされる、首領蜂なんかでも、2面はまだ簡単なパターン作りで十分攻略できたのだが・・・。ボスに至っては1面よりも弱く感じますし。

ランキングを見ると、100位以内に入っているじゃないか!

まあ、単にやりこんでいるプレイヤーが少ないせいであろう。アーケードモードをクリアできた人はランキングによると・・・たったの9人!

STGがいかに人を選ぶ厳しい世界なのか、現実を突きつけられる・・・。

果たして10人目になれるのだろうか。

なんか雷電4も100位圏内に入った!と喜んで後、挫折したなぁ・・・。

思うにSTGは攻略に詰まった時、寄り道できないのが辛い。RPGやアクションだとレベルを上げたり、お金を稼いで装備を整えたり、別の場所を探索したりとか出来るでしょ?ソウルシリーズみたいに「絶景だなぁ・・・」と眺めて精神を癒したりとか。

STGにそれはない!

あるのはひたすら成す術もなく死に続け、そこから一筋の光を見つけるかの如く、鍛錬に次ぐ鍛錬を重ねるのみなのである・・・!

まあ、フィーバロンなんかはその場復活で、アイテムもばら撒かれるのでまだマシですよ。グラディウスだと復活パターンを知らぬ限り、どんなに残機があっても1回死んだら実質ゲームオーバー、成す術も無く死に続ける自機を眺めるだけという・・・。

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