巷には様々なひきこもり関係の書籍で溢れている。ひきこもりとは何かを語ったり、家族や当人に対するケアの考え方だったり、社会への警告だったり、社会復帰の道筋だったり。ある種の白けを禁じ得ない。
思うにどれだけ本を出しても、どれだけ訴えても社会の側が寛容にならなくては、大きな意味をなさないのではないかと思う。
いつも思うのは、どれもが家族や当人に対する「内側からの視点」が多いでしょ。どうも社会を動かす原動力としてはあまりに弱いのではないか。
今日日、経済の悪化、縮小していく我が国、人間関係のストレス、長時間労働、働けども働けども楽にならない暮らし・・・と、ひきこもらない人でさえ、やられていく社会なわけじゃないですか。
ひきこもった人に自信を与え、再び社会復帰させるって、とても時間と労力が掛かることだと思うんですけど、どれだけ内側で頑張ってもこう外がつらい世界だと脱落者も多いのではないでしょうか。
更に悪いことに「甘え」だとか「努力が足りない」だとかいう考えが未だ根強いと感じる。そう発言する当人は相手の事情なんか何も知らないだろうし、興味関心もないであろう。生活保護などのセーフティーの話が出ると、必ず出てくる「パチンコに使い込む論」実際そういう人もいるだろうけど、もう観念なんだと思う。条件反射に近いのではないか。
人は困窮すると辛辣になる。つらさがわかるこそ、上の人・・・ではなく近いところにいる人間が気に入らない、得をすることが、他人に理解されることが許せなくなる。なぜ自分ではなく、「あいつ」なのかと。
ずっと続くんじゃないかな。