一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

壊し、推理し、修理をする

マウスで絵を描くのは無理ゲー過ぎるということで、今後表現の幅を広げたいと思いとにかく安いペンタブレットを購入。

と言っても取り立てて絵は描けないし、ペンタブレットもかなり小さいものだが、素人には十分すぎるでしょう。

 

それで付属のペンに継ぎ目があったんだ。

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継ぎ目がある=外せる=外してみたい。と好奇心に負け、引っ張ってはずしてみたら壊れた。

購入数時間で早速壊す!なんてこった。余計な事をしなきゃよかった!

ボタンが押せなくなってしまった。中の基盤も何かに引っかかり、取り外すことが出来ない。カラカラ音がするので振ってみたらスイッチが出てきた。

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成程これがボタンに引っかかって基盤が取り出せないのか。スイッチはも一つあるのだ。

 

しかし、何故「引っかかる」のだ?見たところボタンはペンに固定してあって、外せそうにない。ならば基盤を入れる時に引っかかることなどなく、すんなり入るはずだ。

とうことはボタンは基盤を入れた後から、取り付けるということなのか?と、針を差し込んだら、案の定取り外すことが出来た。やはり爪で固定して合ったか!

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やっと基盤が取り外せた。後はスイッチを再び取り付けることができれば治るはずだ。

 

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修理完了。動作も問題なし。やれやれ・・・。

おちこぼれ

残り15回ある訓練をキャンセルしたくてしょうがなくなってきた。

人によっては、そこに行かなくなってはどうせ引きこもるだろうから出ておけと言うかもしれない。特に親とか。

それも自分と同じように、あそこに居続けることが苦痛で、ストレスで仕方がなく、そのストレスを退ける為に手や足が動き、紙にペンで書きなぐったりして、気持ちがぐちゃぐちゃしてきて、叫び声の一つも挙げたくなり、結局訓練どころではなく、何一つ身につかず、それを何とか堪えている人から、それでも「将来役に立つかもしれないから」と言われるのであれば考えるけど、そうじゃないこの状況、この感情がわからない外野から言われても全く響かない。

 

教室に入る前から、ストレス全開で体をぐにゃぐにゃ動かしたくなる衝動に駆られつつも、そんなことしていては変人になってしまうのでそれを必死に堪えていた。

 

同じ訓練時間、同じメンバー、同じ環境。

一部の人を除けば、毎週ちゃんと来て、質問されれば積極的に発言し、皆で討論も出来、時には笑い声も聞こえ、休憩時間には雑談するよう光景もある。自分は古くは小学生時代から、そういうことが出来なくて苦痛だった。どこにこんなに差が出るのか。

まるで出来ないお前は問題なんだと言われてるいみたで腹が立つ事さえある。

 

帰ってからもずっと感情の高ぶりが収まらず「何故?」「どうして?」といったことがグルグル頭の中を回り続け、ぼーっとするし疲労感が全然取れない。

あそこに行くと、というよりストレスに晒され続けるとおかしくなるんだよ。

 

きっとあの訓練で最初は嫌だったけど慣れて抵抗が無くなって、いつしか社交的になれた人が社会で上手くやっていけて、自分の様な「最初から嫌で仕方がなく」結局挫折したやつは、その後も落ちこぼれていくんだろう。

 

phaさんの「ときどき自分の中がワーッとなる」という記事が好きで時々読み返すんだけど、完全ではないにしろ、今は特にその気持ちがよくわかる・・・。

 

苦痛でも続けるべきか

「この訓練に参加する趣旨って何だっけ?」

「同じような境遇の人が集まり、話し合いコミュニケーション能力を身に着け、社会で上手くやっていくことだと思う」

思い返すとそんな会話が出ていた。

自己紹介の時にも、この訓練、グループを通して学び、社会でどうのこうのと発言している人がいた。

自分と比べてどのくらいかはわからないけれど、会社は勿論、ここに来るのも相当ストレスで、でも来なくなったら引きこもりがちになってしまうし、頑張って来ることで克服したいという人もいた。

 

まあ感じ方は人それぞれだし、否定するわけでもないんだけど、そのレベルに達しているヤツはいいよな・・・。

自分はADHD持ちで不注意や物忘れとかを頻発し、信用を失うので、そういう障害とどう付き合っていくのかとか、例えばADHD持ちの人で社会で何とか上手くやっている人を招いて講義でもするのかと思っていた。そういう話も出るには出たけど、圧倒的に少ない。

決してコミュニケーション能力で困って、鍛えたくてグループの門を叩いたわけじゃあないんだ。

そんなもんだから訓練以前に何をしにあそこにいっているのか自分でもわからなくなってしまった。

そこに加え、集団でグループ作って、ロールプレイをするとか、毎朝のウォーミングアップと称してゲームに参加させられるとか、苦痛ばかりで何も身につかない。

 

どうだろう?嫌な事でも気持ちを押し殺し、とにかく耐えれば一歩でも二歩でも成長できると思うだろうか?

それとも、苦痛なことを苦痛なままやっても、より一層嫌になるだけで何も身につくはずはない。合わない環境からは降りるべきだと思うだろうか?

どっちとも言えないところが難しい。

 

初級の最後の日に他の利用者に指摘されたが、「君は1分間スピーチを1分で納めることが出来なかったじゃないか。周りの顔色を窺って、調整することが出来なかっただろう?じゃあ、訓練が必要じゃないか」と。なるべく短縮したんだけどね。

その是非はともかくはっきり言える事は、その人の言うことを聞いたとして、もし本当に苦痛なだけで終わって、一切得る物が無かったとしても責任なんか取ってはくれないということ。取りようがないよ。

他人の忠告は聞いておくべきだとは思うけど、あんまり他人からの指摘ばかりに囚われ、一番大事な「自分の感覚」を見失っては上手くいかないんじゃないだろうかと思いつつある。

 

 何故我々は辛い、苦痛だと感じていても続けてしまうんだろうなぁ。

 

 

 

 

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