一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

寝坊した

今日就職支援の予約が入っていることをすっかり忘れて、寝坊してしまった。

先方から電話がかかっていたし、今から行っても昼過ぎになってしまって、ワークショップなんかは当然終わっているので、代替日を決めて休むことに。

会社でやったら大問題だし、実際やってしまったことも・・・。

 

それはともかく最初に電話に出たときに聞こえた声が、暗く、か細く、知らない女性の声だった。

おいおい・・・なんでそんなに暗いんだ?何か嫌な事でもあったのかい?と逆に心配になって、というか聞いたことのない声だし、どういうことなんだ?と疑問に思っていたら次の一言で納得。

「訓練生の〇〇が承ります」と。

なるほどそういうことかと。将来事務員?か何かを目指していて、電話対応の訓練をしていたわけか。

電話対応そのものが嫌だったに違いない・・・。

 

しかし、自分も自転車屋で働いていた時に電話対応をやらされていたが、見えない人を相手にするわけだから、明るくはっきりと伝わるようにと努めてはいたけどなぁ。

まあ、人それぞれ特性は違うだろうから、仕方がない。

あの人も嫌な中頑張っているのだろう。

ただ「体験的」には嫌な事をひたすら我慢し続けていくことはいずれ無理が生じてくると思う・・・。

やっぱり就労支援は胡散臭い

正式登録が進み、「何をしていくか」に関しても、とりあえず相談員を目指していくという話で落ち着きそうな予感。それが自分の資質で無理そうなら、次の一手を考えなければならないだろうけど、そんなもの見つかるのか・・・。

いずれにせよ、相談員を目指すなら「就職支援系」の会社で働くことは何としてでも避けたい。

 

あの施設に現在通っている人が20人程いるわけだけど、結局支援会社が仕事を増やしてくれるわけではなく、支援と言ったって、狭き門を競争して掻い潜っていく状況になんら変わりは無いわけじゃないですか。

しかも、「そういう施設、会社を頼って」いるわけですから、例えば新卒の人と比べると大きなハンデを背負っていると言えるでしょう。流石に就労経験が無いってことはないけど、自分とて例外ではない。

あの中の何人が、仕事にありつけ5年10年と「継続」できるのか。

そんな付け焼き刃な支援で本当に救われるのか、何年たっても疑問が消えない。

 

ゆくゆくは週五日で来られますか?と聞かれ、ゲェー!と思ってしまった。

ただでさえ好ましい場所ではなく、電車賃の補助すら出ないのにほぼ毎日とは・・・。

毎月2万円の出費になるじゃないか・・・。得るものがあろうが無かろうが、確実に金は無くなる!

あちらの標榜する「あなたにあったペース」じゃないし、そもそも制限時間が2年だし、精神、金銭的負担については全然気にしてくれないとは。その辺の事を全く考えてくれないんだ。

以前「交通費が苦しいです」と訴えたら「バイトとかされていないんですか?」と返ってきた。

この一言が悩める当事者と職員との意識の違いを表していると僕は思います。

自分だったら、事前知識が無い限りそんなことは言わない。

 

よくよく考えたらこちらが就職しようが出来なかろうが、手帳を持って申請し、通い続ける限り奴さんは得になるじゃないか。

ちらっと聞いた話では来た回数で補助金の額が決まるそうな・・・。

何故一番苦しいはずの無職の当事者には一切の補助が無いのか!? 結局根底にあるのはビジネスでしょ。

国や市にはなんのメリットがあるのか?支援会社にはなんのメリットがあるのか?考えるんだ!

でなければ人助けなんてできないはずだ。というか人助けなのか?ひょっとしてこのビジネスモデルにまんまと乗せられているのではないのか・・・。

何が支援なんだ!!

もっとこう、等身大で向き合ってくれる場所って無いのか!?

 

まあ、それで就職についていろいろ調べると、新卒の大学生でさえ苦しんでいる様子。

時には命を絶ってしまうことも珍しくなさそうだ。

あらゆる事を自分の意志とは関係なく、人生さえそうであり、背負わされていくのだからとてもつらい事だと思う。

命を絶たなければいけない程のことなんだろうかと、そうまでして労働とは、企業に従えることは至上なんだろうかと、やるせなくなってくる。

今更自分なんかが挑戦してどうにかなる問題なんだろうか。

 

ここ最近You tubeで話題になっているサバイバルの動画なんかを見ていると、確かに発展のおかげで、豊かにはなった。けどその豊かさとて「無償」ではないわけだ。

便利なものがいつしか必要なものになり、それが次々に増えていって、維持していかなけらばならない。

豊かさを得て、代わりに何を失ったのか。

生きる為に働くのか、「維持」する為に働くのか。

正式な登録が完了しました

なんてことはない。就職支援会社にです。

気持ち的には行きたくないことがはっきりしているのに行く矛盾。

前に一度指摘されたこともあった。嫌な事だらけで、話を持っていく場も無いけど、これからどうなっていくのか。 

なんで生きていく限り働かなければならないのか。なんでそれは企業に勤めて8時間でも10時間でも働くことなのか。なんで他の選択肢は無いに等しいのか。

 

向かう途中の電車の中、二人の大学生が、知り合いの成績について貶していた。

「あいつは勉強が出来ないのか?」とか、「朝10分早く来てでも自習すればいいのに」とか、「あんな簡単なテストさえ合格できないなんて終わってるでしょ」等々。

人を貶す心理ってなんなんだろうか?

中学時代自分にもそういう一面があったような気がする。

当時から落ちこぼれで、勉強、スポーツ、友人関係。何をもってしてもダメだった。

そのことで貶されることも一度や二度ではなかった。

劣等感の塊で、そんなもんだから自分より下の奴を見つけて、貶すことで安心感を得ていたように思う。

劣等感や無気力は今も変わらないけど、他人を貶めるような子供じみたことはもうしないさ。(自分を上に置きたい感情がフッと出てきてしまうことはどうしてもあるが・・・)

思うにしっかりと自分に自信が備わっていれば、他人の為すことなどどうでもよく、自分のことにまい進していればいいのだから、卑劣な感情から、或いは不安から来ているのかもしれないなぁ。

他人の足を引っ張る奴がいたとしたら、そいつは自分に自信の無いやつだと思う。

就職支援施設なんて、行きたくねぇ!

就労支援会社なんぞに行っていても一つも面白くない。真新しくない。

もちろん楽しむ為に行くべき場所ではないですが、ここではそういう意味ではない。

終礼の時に席を立ち、ありがとうございました!と一礼するのですが、その時に周りを見渡し、思った事が、批判を恐れず言うと・・・どいつもこいつも、いかにもダメそうな人ばかりなのです。

卒業して一旦就労しても、2回でも3回でも挫折しそうな面々・・・。30間近で就労経験が一度も無いと話す面々・・・。来るべくして来た面々・・・。そういうオーラで包まれているのです。

であれば!過去の挫折や悩みなどの味わい深いトークがあってもおかしくないのに、隣からも後ろからも一切聞こえてこない。

必要だからか、他にすることが無いからなのか、各々訓練を黙って進めるばかりである。

自分としても、親身に話を聞いてくれるわけでもなく、何か発展があるわけでもなく、退屈極まる。

 

思うに誰しも「抽象的な問い」に悩むはず。誰にだって当てはまるからだ。

何をするべきかわからない。何ができるのかわからない。嫌な事ははっきりしているけど、そうでない事とは何なのか?何故働かなければならないのか?

 

なんかそういう感じじゃないのだ。職員と話していてもそんな話題が出る空気すらなく、それとなく出してみても「じゃ、じゃ、じゃ、じゃあ!訓練しよう!体験就労しよう!」と流されてしまう。

自らの事を探求したり、考えたり、悩みを言語化して相手に伝えるということをすっ飛ばして、いきなり訓練、就職なんだ。嫌にならないわけがない。

話して解決なんて期待できない、それでも誰かに話を聞いてもらいたい。じっくりと話してみたい。そういう場があれば・・・。

そう思う人はきっと多いと思う。

 

まあ、いつかのヤングジョブのゴリ押し就活とか、若サポの相談員の風上にも置けぬ、最悪な対応とか、病院の主治医の聞いといて一言で会話を切る離れ業に比べればまだマシである。

とにもかくにも、世の生きづらさに悩む人の駆け込み寺が本当にないのである。

(それを装った所はいくらでもあるだろう・・・)

 

もし万が一、自分が何かの間違いで相談員になれたとしたら、このことを肝に銘じておかなければならない!忘れるなよ!

自己批判精神の無い奴が、相談を受ける立場になんてなるべきではない!

 

今日の一曲!


Wang Chung - Dance Hall Days

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