一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

覚醒した!

今まで何度確認して練習しても、お手本と同じ演奏にならなかった。

おかしいなぁ・・・おかしいなぁ・・・楽譜が違うんじゃないか?と失礼なことを思いつつ、さっき散歩していた時に、いろいろ考え口ずさんでいる内に、やっぱりリズムが間違っているとみて間違いないと思い立つ。

そこで試してみると見事に一致した!凄い同じになった!と。

楽譜が間違っているとか思ってすみませんでした。自分が間違っていました。

 

それにしても、リズムをとるのは本当に難しい。楽器を習得する中で多分一番難しいのではないだろうか。

曲を聴いてその通りに弦を鳴らせばいいはずなんだけど、びっくりするぐらいできないのだ。

「8ビートのオルタネイトピッキング」と書いてあって、一小節に8回鳴らして、且上下交互にピッキングするということでしょう(あってますよね?)

その通りにやっていたつもりでも、全く出来ていなかった・・・。

リズム一つでこうも違う感じになってしまうのかという驚きもあった。

今後練習する上での肝心な部分は、この「リズム」になると確信した。

これが出来ると一気に世界が広がるし、何より楽しく、達成感があるのもこの「リズム」だろう。

だけどどうやって頭で、体でリズムを身につけていけばいいのだろうか・・・。

今回はたまたま気が付いたけど、もう一つの練習曲でも同じことができるか?といえばやっぱりわからないし、躓いている。

 

裏切り裏切られ

裏切り裏切られなんて言ったって、常にあらゆる人の期待に沿って生き続けるなんて不可能だよなぁと思う。

相手の思惑通りに、望む通りに、一度として踏み外してはならない。無理だなぁ・・・。

考えてみると、裏切りとは自分が相手に掛けた期待や思惑が、望みどおりにならなかったことをいうわけじゃないですか。だから信用できないと。

じゃあ、一切相手の事を信用せずに、一切期待を掛けずに生きることができたら、裏切りは存在しないのだろうか。

労働と生きる価値

自分の事で言えばニート、引きこもり関係。それ以外にも怪我、病気、精神的な事情、障害などで働けない人、或いは働かない人(自分はこっちよりだなぁ・・・)っているわけじゃないですか。

当然そのまま燻っていてはいけないとされているわけですよ。金銭的な事情もあるでしょうし。

そこで「社会復帰」を目指さなければならない。では、「社会復帰」とはなんなのか?それ即ち労働じゃないですか。

 

家事手伝いではダメ。単に何らかのコミュニティに属しているだけなのもダメ。ボランティアも長期的にはダメ。何故か。金を稼いでいないからです。金を稼いでいないと人として認められないと実感しております。

金を稼がないと自立に繋がらない。脛をかじるだの税金泥棒だの言われてしまいますし、助けを受けることはあっても、助けを与えることは殆どないのではないかと思います。

現に自分としても誰かを助けているのか?誰かの役に立っているのか?と問われれば、家族の荷物の受け取りと親が仕事で使う書類の作成くらいにしか役に立っておりませぬ・・・。社会的にはお荷物である。

 

社会って労働で回っているじゃないですか。自分がする事成す事でさえ、誰かの労働の恩恵を受けとるわけですよ。そこに参加しない、できればしたくない、できない生産性の無い人間は生きる価値があるのだろうか、社会復帰とは労働でなければならないのか、でも労働じゃないとしたら金は生活はどうするのか?

働くことが、そういう形での社会参加、コミュニティを形成していくことが人間らしさだとしたら、それに属さない人はなんなのか?ということを最近考えてしまいます。

 

 

 

 

カブトムシ

ここ最近昼間は勿論、日没でも30℃を超えることが珍しくなく、30分そこら歩いただけで息が上がり、頭がボーっとしてくる。

春や冬の様に毎日1万歩歩くなんていうのは無理だ・・・。

というわけで、早朝6時頃に1時間程度歩くようにしているのだけど、これでも暑い。

家に帰るころには下着が濡れ雑巾の如くべたべたになってしまう。

長袖の老人をよく見かけるのだが、あれは一体なんなのだろう・・・。

 

そんな折、何気なく木を見たらカブトムシが沢山いるじゃないか!

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自然の中でカブトムシを見つける体験なんて何十年ぶりだろうか。ちょっとした感動体験。

彼らは成虫になると樹液しか食べなくなるのだろうか?

夏が終わると全滅するイメージがあったけど、やっぱりその通りで9月中には全滅するとウィキペディアには書いてある。ただし、飼育環境中であれば、越冬も可能だとか。

写真を撮ったのが1週間ほど前で、今は1、2匹程度がいるくらいである。

この形態になって、たったの数か月しか生きられないとは、切ないような奇妙なような。いっそ人間もやることやったら、ある時ポクっと天に召される方がいいのではないかと思える時がある。長すぎる寿命を維持していくのも大変ですし・・・。

この樹の下には、同時にカブトやクワガタの死骸も多い。猫やカラスをよく見かけるので食べられるのだろうか。

 

期待と評価

親が子に掛ける期待は、親が実現できなかった事を子に実現してほしい事から来るのだろうか?

それとも子が評価されることによって、相対的に自分の充実と評価にも繋がるからだろうか?

よく、「日本人として嬉しい」という表現がありますが、あれも似たような構造だろうか。

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