一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

狭く、深く

なんと表現すればいいのか「既存の生き方に囚われない系」の、何人かのそこそこ有名?な人のブログを過去の記事を遡って読んでいくと、当初は本を出したり、テレビに出たり、ネットニュースで取り上げたりで、共感から批判、罵詈雑言までいろいろなコメントが寄せられていたのが、数年たつとパッタリと止む。

あんなに熱心に?コメントをしていたのに皆どうしてしまったのか。飽きちゃったのだろうか。

 

最初は物珍しさから、いろんな人に反響があるのだろうけど、同じことを続けていくと人が減っていって、最後には数人しか残らなくなるように感じる。

有名どころと比べるのは大変おこがましいことですが、何しろ同じ様なことしか書いていないので、自分もそんな感じになった気がする。

だが、その数人こそが、とても大事なもののはずだ。

 

自分も数人のファンを獲得するために頑張るのだ。(何を・・・)

 

 

ここで一曲。

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マスクバブル

話題の新型肺炎。ついこの間まで、「そんなに大したことはないよ」みたいな雰囲気だったのに、みるみるうちに大変な騒ぎになってきたじゃないですか。

夕方のニュースで、中国では深刻なマスク不足で、政府関係者が買い占めたり、使用済みマスクを煮沸消毒して使いまわしたり、路上に捨ててあるマスクを拾い集めたりする人々の話が出ていた。

そして、何やらコロナウイルス万歳!とでも言いたげな連中が・・・。

Amazonヤフオクを覗いてみると、出るわ出るわ信じられない価格で出品されるマスクの数々。メルカリなんかも酷そうである。もう適正価格での入手は絶望的である・・・。製造するマスクメーカーはウハウハなんだろうか。

 

転売を批判する人たちがいるけど、結局それでも買う人がいるからこんな事が成り立つわけじゃないですか。実際「え!この値段でか!」と思いつつも、結構入札がありますし。自分でも小遣い稼ぎが出来そうなくらいである。まあ、こんな状態になってからでは遅いでしょうし、人間性を疑われるので気が引けますが。

「転売に規制をかけてくれたら、投票します!」とか言って法の整備でもするか、買わないかくらいしか、対処法なんてないでしょう。

しかし、それでも「背に腹は代えられんと!」と買うのが人情なんだろうか。

 

誰か自分の話を聞いてくれ!

高卒後、19歳で最初の仕事に挫折してから、ずっとそう渇望していたように思う。

保健所の心の相談に通ったり、ネットでいろいろ投降したり(ある意味今もそうかな?)、職業訓練に通った時に、自分の会社で引きこもりを雇って支援している社長が講演で招かれたので、個人的に時間を作ってもらったり、就労支援をあちこち彷徨ったり、数年ぶりに再び保健所に相談に行って激しく後悔したり・・・。

自分ではどうすることもできない。というかどうしていいのか、何が出来るのか見当もつかない。だから誰かに話せば何とかしてくれる。くれなくても何か次の一手が見つかるかもしれない!藁にも縋る思いで、繋がりを求めていろんな人に接触していた。

 

流石に「自分の状況を何とかしてくれ!」なんてアホな聞き方はしなかったけど、結果はこの通りだ。何にも繋がらなかった。今になって思うけど、他人を助けようなんて思ったら、それこそ幾らかでも人生を捧げる覚悟が必要だろうし、何より他人はそんなに興味も関心も持ってくれなかった。逆の立場でも同じように感じただろう。

見知らぬ他人の為に、何も得るものが無いのに、少しでも時間と労力を割いてやることが自分にできるのだろうか。そう思う。

 

20代前半の事を思い返すと、本当に若かったと、未熟だったと感じる。未熟は進行形か・・・。

いつしか他人に話を聞いてくれと求めることも無くなった。期待しなくなったからだし、それでいいんだと思う。

そして、どうすればいいのか、どうなるのかは未だにわからない。

 

いじめと変わらんですよ

引きこもりの99%が経験するであろう、親からの「いつまでそうしているんだ!はよ働け!親が死んだらどうするんだ!」という小言。あれの模範解答って一体なんだ・・・。

こちらとしても暗中模索していて、どうすりゃいいのかわからんわけですよ。答えようがない。

中学時代、テストの成績やら通知表が非常に悪く、からかわれたり、体育の授業でのダメっぷりからどやされたりが、常にあった。

あれと構図はなんら変わらんですよ。

一緒になって問題について考えてくれるわけでもなく、解決に向けて手を貸してくれるわけでもなく、口を出すが手は出さない。

あまりに当然の要求過ぎてこの構図に気づかれない、自分は上、お前は下!と、いじめの家庭版みたいなものです。

こういう場合、相手はまず自分の話を聞いてくれない。反論するとばっさり切り捨てられると思います。

この過程のどこかで運よく脱出できればいいですが、そうできずに悩みとストレスを溜め込み、どこに行き着くのかは想像するのも恐ろしいものです。

 

就労支援なんぞに通っているのに、こういう一番ホットな話が全く出ないのは嘆かわしい。自分からそれとなく切り出すと、すんごい変な空気になるのだ・・・。

自分自身がそうだから思い切って言いますが、就労支援なんぞに通う時点で、もうダメ人間なんですよ。

だって、そうでしょ。高校生大学生がやっている事を、人の手を借りながら超スローペースでやっているのだから。前にも書きましたが、働きたいのなら、働く必要があるのなら、働く決意があるのなら、働けばいい。働くべきだと。さっさと具体的に行動しなさい!と。

でなければ、「上記のような話題こそが通う意味になる」というか、こういう所でしか生の声なんか聞けないだろうに、大抵の人は内心気にしていると思われるのに(実際職員に半べそかきながら話していた人がいた)「働きたいって思います?」と聞いたら「もちろん働きたいです」なんて返事をして、様子を観察したり、職員とのやり取りを聞く限り、全くやる気が感じられないという。

嘆かわしい!実に嘆かわしい・・・。

 

「働きたくない!何故なら辛過ぎるから!」を表明して、世間様から全身に矢を受けて、血を吐き、倒れ込みながらも這って生きていくくらいが潔くていいと思います。

とはいえ、辛くない仕事とか、事情をわかって人情で雇ってくれる人がいるとか、自分にできそうなことが見つかれば、挑戦した方が良いと思いますし、というかそんな機会くらいしか復帰できる可能性はないでしょう。

 

働きたければ、働けばいい

前にも書いた気がしますが、就労支援というのは「就労」「支援」と言いつつ、その実働きたくない人、すぐには働かなくても大丈夫な人が通う場所だという気が、これまでの体験からします。自分そうですし、周りを見ても内心はわかりませんが、態度や雰囲気で察しはつく・・・。

 

想像してみてください。あなたが「世の為人の為になにかしたい!」とか「家族の為に頑張らなければ!」とか「趣味を充実させるために金が欲しい」とか「仕事で自己実現、認められたいと思う」とか「いや、それより生活がヤバいでしょ!」となった時に、何をしますか?

要するに働かなければ!!と決意した時、何をしますか?

就労支援なんか行きますか?ハローワーク、地元の求人誌、ネットの求人サイト、就職説明会とか、そういう所に行って具体的な話を掴むでしょう。

そもそも就労支援に行くなんて発想自体が出てこないのではないでしょうか。

 

よくよく考えたら、働きたければ、その必要があるのなら働けばいい。今すぐ電話の一本でもかければいい。事実だけを切り取れば、シンプルかつ簡単な事です。

年齢とか障がいとかいろいろ問題がある人もいるかもしれませんが、現実問題行動しなければ働き口など見つかるはずがない。若くて健康な人より何倍も努力しなければいけないでしょう。

 

本当は働きたくないのに、聞くと「そりゃ働きたいですよ!」なんていう人は好かないです。僕はあなたが本当は働きたくないという事を確信している!!

 

じゃあ、何を思って就労支援なんかに通うのか。

そんなの決まってるじゃないですか!

 

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