一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

支援を頼ったひきこもりのもう一つの悲しみ

就労支援の悲しみを散々書いてきたけど、もう一つあった。それは

焦って就労したけど、仕事のつらさが骨身に染みて挫折する悲しみ。

世間に、社会に恐怖するひきこもりがなんとか相談にこぎ着け、更に支援にこぎ着ける。そこで支援という名の準備や作業、交流を経験する。よし!社会参加できた!(役に立つかどうかはともかく)やることもある!ここまでは順調に行けるのではないか。問題は次だ。

次・・・次が無ぇっ!!

支援事業者が安心して働ける仕事を用立ててくれることはまずないと思うので、ここで止まる。(人によっては来て早々、何をすればいいのかわからんと放置状態になるかもしれない)

「スポンサー」からの叱責は続き、言い訳も苦しくなる。更なる悪循環を招く。

このことに耐えられなくなったり、支援者にゴリ押しされたり、支援に疑問を感じて焦って手前で就労し、挫折する。これ、やってしまった人も多いのでは?かく言う自分も2回やってしまった。そしてひきこもり地獄が強化までがセットになる。

助けを求めているのに何故支援に回されるのか?「は?助けを求めているから支援に回されるのは当然では?」そう思う人は就労支援に行ってみてほしい。

後は全然話に出ないのだけど、支援を利用するにあたって、お金の問題は結構切実だとおもうんだけどなぁ・・・。

 

 

世の中を見ると、社会不適合者っていないじゃない。いない事になっている。

スーパー、コンビニ、ガソリンスタンド、飲食店、交通機関どれをとっても「きちんと働ける人」しかいない。しかし、学校を思い返せば怪しい人は確かにいた。

あれ?何処に行ったのか?就労支援施設にいた。様々な人間模様があり、学ぶことも多い。「あ、こういう人がネトウヨとか言われる人なのか・・・?」と。

他方で一般社会で何事かの役割を引き受けて、出来る事を証明していくのは難しいのではないか・・・そんな風に思ってしまう。

 

 

なぜこんなに生きにくいのか

何事も金に縛られているからではないか?金が無かったら、稼げなかったら死ぬしかないよねっていう空気があるでしょ。

経済と生活とは切り離されているべきだ。と「南 直裁著 なぜこんなに生きにくいのか」で触れられている。

もう一つ触れられているのは、生きるコストが高過ぎる。便利なものが便利故に「必要」になり、世の中必要なものだらけになったら、そりゃ生きづらくなるでしょうと。便利は「タダ」ではないのだ。

 

 

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人生どう生きたらいいのか

今自分に起きている(起こした?)ひきこもり問題は、昨日今日起きたことではない。

子供の頃から一貫してある「自分は社会や共同体の中で上手くやっていくことはできないだろう」という実感あるのだ。

だから単純に仕事の問題が解決したとしても、生きづらさを背負っていけるのか不安である。尤も仕事が上手く続けられるのなら大分楽にはなると思うけど。

ある種人生の振る舞い方のような話になってしまうから、誰に相談しても流されてしまうのだろうか。

この不安や焦燥感や劣等感。本当は何が問題なのか、自分でもよくわからない。

就労支援において何故「目標」があることが大事なのか

ここでいう目標とは即ち「仕事」

悪い言い方にはなるけど、支援を頼っている時点で社会不適合なわけじゃないですか。自分も紛れもなくそうだと思っています。

もう新卒の大学生の如く、軽やかに動くことはできない。誰かの助けが必要だ。

なのに支援ときたら職の紹介はしないと明言するんですよ。まあ、コネで入れろとはまでは言いませんが(できたら効果は高いのとは思うけど)、個人的には通う人が何を一番心配するのかというと、「果たして自分が上手く働ける場はあるのか?通っていてそこに到達できるのか?」だと思うのですよ。

これまでいろんな就労支援を頼って、勿論訴えました。だけども「うんうん、わかるよ。それをこれから考えていこう」と言われてそのまま有耶無耶に・・・。

こんな状態で「さあ!面接の練習をしよう!履歴書を書こう!ワードやエクセルでもやるか!お前ら社会性が無いから、作業をするぞ!コミュニケーションスキルも鍛えろ!」とか言われてやる気になります?希望を持てますか?ならないよね。自分のテーマをおざなりにされたまま、支援とやら受けねばならない悲しさよ。

 

ゴールを決めずにマラソンをするのか?何を作るのかも決めていないのに道具を買いそろえるのか?おかしいでしょ。何故目標が無いのに準備だけを進めるのか。

この間までやっていたダークソウルで例えると、大きい武器を使いたいなら筋力を上げるし、魔法を使いたいなら理力を上げる。目標に向けて作り上げていくわけだ。

まずは「あなたでも問題なく働ける、排斥されない場はある。何故なら・・・」と場と「根拠を与えて」(根拠は凄く大事)、それから「準備」が順番・・・じゃないの?目標や希望、心配しなくてもいいがあるから頑張れるんですよ。

見ているとこういう構造にあまり疑問を抱かない?都合の良い利用者ばかりが優先されて、他は取り残される構図もあると思う。

それ以外にも職員の異動が激しい所だと、ずっと相談に乗ってもらっていたのにある日突然いなくなって、大した引継ぎも無く、ほぼリセット状態になったりもする。ひでぇよな!

 

 

次に親のことがあると思う。

無職のスポンサーなんて親しかいないでしょ。通うにも近所でなければ交通費が掛かるし、昼食代、場所によっては利用料が掛かることもあるでしょう。

それら全て費用の出どころは基本親になると思う。だから聞かれるわけですよ「支援を頼っているけど効果あるの?いつになったら働けるのと?」

「えー、あー、効果はあると・・・思・・・(いや~無いと思うわ・・・)」と苦しい返事しかできない。

そう支援を頼っているのに順調であると自信を持って答えられない。こんな歯切れの悪い状況が長期間続くわけだから、スポンサーもどんどん責めてきます。

 

支援すら取り残されて、金と信用を失い、いくらか老けた当事者が残されて、親には罵倒される。これが支援を頼ったひきこもりの末路ではないか?と経験上思うのだけど、なんだろう俺だけかな?皆上手くいっているの?

 

自分の様に「働ける場」を求めている人は支援を頼っても金を失って老けるだけの可能性大。

働くことに抵抗はないけど空白期間があるし、履歴書や面接が心配だ。

そういう人はハローワークに行ってください。対応してくれます。

金も時間もあって親との中も悪くないし、直ちに働く気も無い。なんとなく集まりがあるといいなぁ。

そういう人は就労支援に行ってみてください。同じような人がいます。

就労支援のもう一つ悲しい点

社会不適合な人でも安定して続けられる仕事に繋がりにくいのでは?と体験的に語ってきたけど、もう一つ悲しい点があって、「当事者には基本後ろ盾が無い」

支援と称して、「準備」ばかりをやらされ肝心の仕事や何だったら上手く動けるのか?というテーマは触れられないまま。準備という杖を片手に霧の中をさ迷い歩くわけですよ。

職員は「仕事」だからのんびりやっていてもいいけど、当事者には基本何も無い。

就労支援給付金とか、ひきこもり手当なんてあるはずがなく、生活保護でもなければ、障がい者年金も無い(ある人はあるでしょうが)

じゃあ何があるのかというと親の金。それを頼りに時間を失いつつ、親から責められ続け通うのである。

俺は見てしまった。親からの罵詈雑言に耐えられなくて、涙を流しながら職員に相談する人を・・・。もう職探しどころじゃないよね。俺だって同じじゃあないか。

自分ではもうどうすることもできない!手を貸してくれって!って頼って、金と時間を失い、親から責められ精神を病み、霞の中を歩いたものの、何にもならなかった!ってなったら絶望的じゃないですか。

勿論頼った結果、上手くいった人もいるだろうけど、やっぱりその背後に闇に葬られた挫折者の白骨死体が大量に転がっているのではないだろうか・・・。

社会に適合できず、支援すらも落ちこぼれてしまった。さあ、どうしよう。

生活保護があるけど、風当たりが依然として強いだろうし、水際作戦で拒否されるかもしれない。そういう人が後にニュースにならないとも限らないことはよくご存じでしょう。

 

俺はサポートステーションを信用して、頼っていいのだろうか?それでダメだったらどうしたらいいのだろう?

ここ最近書いてばかりなのは不安で落ち着かなく、何か気を紛らわせるものがほしいからである。

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