一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

反!善意

「お父さんの実家からお餅が届くから、受け取ってお礼を言っておいてね」

またか!

だ!か!ら!一言も!頼んでないって!

今、家に在中しているのは自分一人である。

ダンボール一個分ある餅を送られても消費しきれない。

餅もそんなに好きではない。

冷凍庫を圧迫する。

 

これが自分が頼んだことであれば、ありがたいし言われなくてもお礼を言います。

そういうお礼は忘れません!

もう一度いいましょう。一言も頼んでないし、そぶりも見せていない。

 

必要のないものを受け取る。

必要がないので、利用や消費に困る。

お礼を言わなきゃ、しかし頼んでいないのにと悩む。

これだけブログで本音を書いても、どこか心が痛む。

毎年繰り返してしまう。

なんと悩ましい事か。

 

善意だ!善意が人の思考を奪いさっていくんだ!

善意でやっているんだから向こうも喜んでくれるに違いない。

ややもすると、喜ぶべきだと考える人もいるかもしれない。

その善意のお陰で悩み続ける人間がいようなどと全く疑わないのである。

 

そしてちょっとでも善意を受け取ることを拒否する態度を見せるやいなや「偏屈している」とか極端な話「善意を受け取れないとは、なんと不届き千万な奴!」と切り捨てられるであろう。

 

あなたは自分が善意を持って他人に何かをしたり、送ったりして、相手がそれを快く思わなかったとして、少しでも腹を立てるようなことがあったりしないだろうか?

あったとしたら、それは善意ではなく「欲望」である。

 

善意が善意であるならば、如何なることがあろうと相手に期待してはいけない。見返りを求めてはいけない。

それが守られている間は善意であると本気で思う。

 

いらないものはいらないとハッキリ言え、相手もそれを恨むことなく了承する

それが本来あるべき姿ではないのか。

 

いらないものはいらないと言えたら、必要かどうか確認してくれればどんなに楽であったか。

「善意を断りづらい」ありませんか?そういうことが。

 

もうロクな意思疎通無く、「善意」で誤魔化し、思考停止に陥るのは即刻やめるべきだ。

 

例え自分が相手から嫌われたとしても、こんな誰も喜ばないループは断ち切らねばならない。

ちょっと勇気がいるけど主張してみるか。

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