一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

自己中心街道をゆく

前回の一件で思う所があった。

自己紹介はともかく、こちとら生き方、就職で悩んでいるのに何ゆえ親睦を深める伝言ゲームに付き合わなければならんのか・・・。しかも毎回やるって言っていたぞ。

そんなことに時間を使いたくないというのにまったく。

正式名称を知らないが、最初の人が例えば好きな物事を挙げて、二番目の人が前の人と自分の好きな物事を挙げていき、それを続けていくというゲーム。最後の人は全員の物事を挙げなければならないので負担が大きい。

 

これは確信を持って言えるがあの場にいた当事者全員が、やりたくなかったことだと思うよ。

来る人にはいろんな人がいる。そういう余興を進んでやりたい人、楽しめる人、やりたくない人。

何故選択肢を与えてはくれないのか?何故やってもいいか、やらない方がいいか聞いてくれないのか?

連中はきっとこう言うぜ。「決まりだから」「そういう趣旨だから」

ああそうだろう。参加しているのはこっちだからね。

しかし、なんとつまらない、多様性のない返事であろうか。

「それ」である必要なんてまったくないじゃないですか。伝言ゲーは嫌だけど、他の物事だったら参加してもいいという人もいるであろう。

別に仕事というわけでもないですし、寧ろやりたいかやりたくないか、必要か必要ないか、代替案はどうするかを議論し、結果として「やらない」となっても、変なゲームに強制参加させられるよりよっぽど実りあるものになったのではなかろうか。

自分の事、相手の事、いろいろ考え結論を出し、発言してみる貴重な経験だと思うよ。

そういう可能性をもバッサリ切り捨ててるんじゃないのかな。

 

それに特別親睦を深めたくない人だっているだろう。

深めたいと心の底から望む人にも、そんなものは必要ないんじゃないのかな。

「決まりだから」「ずっとそうだったから」みたいな場所に居座っていると、そういう議論や思考すら生まれてはこない。

きっとそういう場を乱す個人主義は邪魔な存在なんだろう。

 

司会、進行役、書記もあなたたちでやってもらいますと言われ、最初に感じたことが「えー・・・!!」

やっぱり来るべきところが違う気がしてきた。

ADD、PDDグループということだけど圧倒的にPDDよりで、自分は軽度のADHD(らしい)

つまり苦手ではあるが、基本的なコミュニケーションは取れるのである。

で、あまりに説明不足、説明下手なせいで、皆からわからん!わからん!どういうこと!?と矢継ぎ早に質問攻めがあったし大丈夫なのかコレ。

 

集団というのはどうしても一色に染まってしまう。

そりゃ染めていかないと集団として成立しないのでしょうがないんですが。

なんだか最近集団で何かをするより個人で適当に進めていく方が面白いことが起きそうな気がしてきた。

 

 

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