いろんな所で見られると思うんだけど「自分の正しさを理解させようとする議論」程、不毛なもの無いだろうということ。
時間と労力を使い、ストレスを感じながら力説するわけだ。大抵高圧的や攻撃的になる。
相手もそこに臭気を感じるもんだから、恐らく受け入れることはない。
だってそうでしょ?自分が間違っていましたと認めなければならないし、それが高圧、攻撃的な態度だったら、益々受け入れられない!受けるものか!となるのが人情でなかろうか。
だんだん泥沼になってきて、最終的に双方が「自分がこんなにも正しいということを説明しているのに、何故この愚か者は理解できないのか」みたいな結論に達する。
双方とも疲れやストレスを感じ、時間を失い、何がわかったかと言えば、「相手の打ち負かそうとする」執念だけだったという・・・。
バトルガレッガで一万点勲章を取り逃がしたり、ランチア ストラトスでスピンした時以上のストレスだろう。
なんだこりゃ。ああはなりたくないなと。
今一度考えるんだ。
世の中に「絶対的に正しいことはあるのか」
あったとして、その正しさはどう証明すればいいのか。
ルールや規則に乗っ取っているから?それが間違っていたら?
快と不快、利益と損であればわかりやすいものだが、これが「正しさ」とか「善悪」となると一転、皆目わからなくなってしまう。もう哲学の領域である。
とりあえず一呼吸、一旦冷静になろう。
そういう臭気を感じる様であれば、打ち負かしてやろうなどと考えず、早々に離脱するのがいいじゃんないかと最近は思う。
本の受け売りではあるんだけど、議論というのものは「相手と自分の考えの齟齬、認識のズレを確認し合う作業」だと。
お互い話せて良かったと、手を握り合える議論を目指したいものです。