手元にある鉛筆削りを描いてみたが、こりゃあダメだ。
なんか歪んでいるし、実際はもっと長いはずなんだけど・・・。
穴にしても下へ向かって開いている穴をどう描いていいのかわからなかったので、黒く塗りつぶしてみたが・・・う~ん・・・。
それ以上に気持ちがダメだった。描いていて苦しく、とりあえず描き切ることしか考えられなかった。描き終えたら投げ出してしまった。
多くの人が再び絵のチャレンジをして、この気持ちのまま散っていくのではなかろうか。ペンを握るのが億劫になる。ここが正念場だ。それ程までに壁は高い。
センスよりも知識だと思う。
しかし、こんな気持ちのまま終わるのもどうかと、数時間後に「ちょっとだけなら」と再びチャレンジ。
もうちょっと描けそうな題材にしようと、手元にあったフィギュアの頭を描いた。
あれ・・・?珍しくそれ程破堤せずに描けたぞ?意味がわからない。実際簡単だったんだろうか?
両者の違いを考えた時に、こちらは「描いていて楽しかった」こと思い出す。
楽しいと、ここはこうだな。こっちはちょっと違う。とかそういう事を「自然に」考え始める。
なんでも嫌だったり、苦痛を感じてしまうと気持ちや能力にブレーキが掛かってしまう。
きっと「絵を描く事そのもの」を楽しんで取り組めれば、すらすら上達するのではないかと思う。
子供の頃は確かにそうだった筈なんだけどなぁ・・・。
苦痛に感じてしまうと、長時間取り組むことが難しく、継続するのも困難になってしまう。
一日30分程度しか気力と集中力が持続しないが、なんとかなるだろうか。
思えば仕事が楽しいとまではいかないまでも、苦痛でなかったらどれくらいの能力が発揮でき、意欲的に取り込めたんだろうか。
仕事は辛いもの。辛くて当たり前。そうあるべきだ。という先入観が仕事の意欲や効率を大きく下げているのではないだろうか。
サボりはマズいとしても、直接的な迷惑は被っていなくとも、楽(それが効率的な事であっても)をしているやつを見ると、腸が煮えくり返る思いをしませんか。
嫌な苦痛なことを根性で頑張れば頑張る程、他者に対して極端に不寛容になる気がする。