自分の人生においての損失って何だろう?とか考えていて、同じような当時者なら、毎日無益に?過ごしているニート期間と答えるんじゃないだろうか。
でも、違うと思う。この期間にも本やネット、本意不本意あったけどいろいろな集まりに参加して学んだり、悩んだことも多かった。(人は悩んだ時こそ、真剣に物事を考える・・・気がする)
時間がある事を活かして、ちょっと勉強を始めてみたり、体力作りと筋トレをしていたり、得る物は確かにあった。
じゃあ、何が損失なのか。
これまでの時間の中で、「何が自分にできて、何がそうでないのか」真剣に向き合ってこなかったことだろうか。
今まで何度か就職し、同じ数だけ敗北している。自分にいろいろ弱点があることがわかったし、そもそも勝てない相手にパンチを繰り出していても、倒せる筈などなかったのである。
良く言えば、身分相応。悪く言うと、俺より弱いやつに会いに行く!
チャレンジ精神も大事だとは思うけど、それが出来、大成していくのは極一部だろうし、自分はその器にないだろう。上を目指すよりも継続だ。
自分の身の丈にあった生き方、場所の見つけ方。それを考えてこなかった、相談できる人を見つけてこなかった、そういうことが今になって損失だと感じるようになった。
いろんな所へ道は繋がっていて、さもなんでもできるよな感じになっているけれど、その実極めて限定されている。なるべく選択肢を広げておくべきだった。
某所で言われているように「人の役に立つ、人から必要とされている」という実感がないと、生きる意味であったり、自己肯定感を得られないものなんだろうか。
何かの本で読んだんだけど、生まれながらにして、その人の資質に合った仕事に就くことが約束されている(強制される?)世界だったらいいのにと思う。