久々に親に会ったかと思えば、就活はどうだ?と始まり、前に自分の職場にいた〇〇君はあんたより酷い発達障害で、暴れたりして手に負えなかったが、そんな人が今ではバスの運転手で、更なる上を目指しているとか、妹の元カレがネットのニュースで取り上げられていて、この人もあんたより酷い発達障害でいろいろ挫折してきたが、今ではバーを開業して、ブログでいろいろ発信しているから見てみろと。
一体どういう心境でこういう話をするんだろうか。
それ見て聞いて、「よし!自分もやってみよう!」なんて気になると目論んでいるのだろうか?なるわけないじゃないか!
自分だって、今までいろいろ転職したり、支援施設を頼ったりしてきた。「何もしていなかった」わけじゃない。だけどダメだった。そんな話を聞くたび、どうして自分は彼らの様になれないのか、どうして彼らにはチャンスが巡ってくるのだろうかと、悲しいやらやるせないやら複雑な気持ちになってくる。
そんなこと言ったって、親はいつまでもいない、こっちだって大変なんだ、悩みがどうこうより、現実を見ろよ現実を。
こんな調子だから自分も機嫌が悪くなり、終いには「あんたの考えていることはわからんし、気難しすぎる」となる。
こういう人は「わからない」ではなく「考えようとしない、知ろうとしない」だけである。
ここ最近嫌な事ばかり重なり続け、良い話や進展が何一つ無く、自分の中のコップは常に満杯に近いんだ。そんな中だから余計にイライラしてしまう。
親と上手くやっている当事者って存在するのだろうか。
現実がどうのこうのと考えられる人は、引きこもりになんてなったりしない。
そういう人が社会復帰するには別の根拠が必要なんだと自分は思う。
「働け!」なんて命令してくる人は口は出すが、手は出さないのである。
明日も支援会社に行くわけなんだけど、どうにかできるのだろうか。