自分のことを否定する人には事欠かないけど、肯定してくれる人に関しては未だに見たことが無い。否定はもう人材が十分間に合ってますからいいですよ!とでも言いたくなる。
2年前の病院のコミュニケーション能力トレーニングのディスカッションやLITALICOワークスで感じた事だけど、そういう場に集まる人っていうのは大抵「訳あり」じゃないですか。実際LITALICOは当然として、ディスカッションでも働いていない、働けない人も沢山いましたし。
であれば大なり小なり「ダメ人間トーク」があってもいいはず!
外界と接する事を殆ど無くした、人間関係も殆ど無くした、働くことが辛すぎる、骨身に染みる、続けられない、人に会えばああでもないこうでもないと否定の嵐、他人と自分を比べて劣等感で死にたくなるの味わい深いダメ人間トークがあっていいはず!
だけど、話を聞いていても誰にでもあるような小さな悩み事レベルで「これだ!」と思うような話は出たことが無い。
というより、人前に出るという事自体がプレッシャーなのか妙に前向きなんだ。
本心はわかりませんが、悟られてはならぬ!舐められてはならぬ!という心理が働くのだろうか?
「俺なんかどうせ」とあからさまな態度はとりませんが、自分はプライドは捨てました。持っていてもいずれボロが出るし、後述の壁を作ることにも繋がるでしょうし。
この間の体験実習で「壁を作ると相手も壁を作る」と指摘されたので、LITALICOではそれとなくダメ人間トークを持ち出してみたけど、なんだろう微妙な空気になった。
なんか浮いた感じがあった・・・。
なんで皆そんなに前向きになれるのか。というか、お前とは違う!一緒にするな!ということだろうか?
どこにいっても馴染めんなぁ・・・。