ふと、中学時代のバレーボールの授業の事を思い出したくはないのだが、思い出した。
何度か書いてきたように、興味は無いし、ルールはわからないし、そもそも出来ないしといった風で、いつもメンバーからどやされていた。
それが苦痛で苦痛で仕方がなかったのだが、なんとか終了まで耐えきった。次にやるのは個人でやる陸上競技?の授業だったので「やった!やっと終わった!何とか耐えきった!これであいつらにもうどやされる心配はない!」と心の底から喜んだ。
が、次の授業の時にどういう理由かは忘れたんだけど「もう少しだけバレーボールを続けます」と宣言された時には、「いやいやいや!いやッ!!やっと!やっと耐えきって、遂に終わってくれたのに!嘘でしょッ!!耐えた仕打ちがこれか!?」と目の前が真っ暗になった。血の気が引いた。
それ以外にもいろいろあるんだけど、あの日程「苦痛を我慢して報われなかったことはない」
嫌な事でも我慢するべきだ。それが大人であり、我慢の先にこそ朗報が成功があるのだと、皆言うでしょう。
一概に否定はしないのですが、これまでの経験、特に学校生活を思い返すと、個人的には損をしてばかりである。無い方が断然良かった。
確かに「結果的には」良かったことはいろいろあったのかもしれませんが、「本心として良かった」と思えたことは一度も無いような気がする。むやみやたらに我慢することに懐疑心が生まれた。
人生なんて理不尽です。理論通りにはいかんですよ。株で言う「損切」も大事だと思います。必要なのは「判断力」ではないでしょうかね。