「ニートの癖に!無職の癖に!脛をかじっている癖に!」そう罵倒されようとも趣味は自分にとって必要な事である気がしてきた。
居場所も、行く場所も、他人に何か一つでも認めてもらえる能力も、恋人や交友関係も、話さにさえじっくり耳を傾けてくれる人が無い自分であるから、これ以上失ってどうする。
自分の趣味など高等なものではなく、簡単にプラモでも作るか、ゲームでもやるか、精々が収集止まりある。ちょっと背伸びしてギターの演奏とか絵を描くとか言いたいけど、「好きです。趣味にしています」っていうレベルじゃないなぁ・・・。
どちらも「わからん!できねぇ!」と苦しみながらも、「いつかきっと!」とコツコツと続ける。そんな感じである。
他人に広く理解されるようなものでも、認められるものでも、自分を高めてくれるものでもない。だけど例えそんなものでも、ある人にとっては、当座趣味が生きる目的になるような気がする。
アニメとか、漫画とか、ゲームとか、ライブとか、何でもいいんですけど、そういうものがあると「もう少しだけ生きていこう」と、そんな気持ちになりませんかね。
深く考えれば幻想みたいなものかもしれない。自分で自分に価値を付けることはできないから。
だけど繰り返しますが、ある人にとって当座の間生きていくためには、そんなものでも必要に思えてならない。
情けない話ですが、だから怒りに任せて「こんなもの!」と捨てたことを今になって半分後悔している。(もう半分は実際処分したかった)
いい歳して小学生の如くお金を貯め、無駄遣いを控え、デイケアや模型店への交通費さえケチって数時間かけて歩いていき、度重なる延期にも耐え、「待てば何とかなる!」の精神で(実際不思議なくらい待てばなんとかなってきた)ようやく手にしたのではなかったのか!?
なんだか自分の一部分が欠けてしまったかのような喪失感を覚えた。
ですから、自分のようにバカにされたとか、否定されたとか言って、無謀な行動に出ることの無いよう、一旦考える時間を置くようにすることを願います・・・。
怒りは理性を失わせ、後で後悔の波が襲い掛かってきます。
それにしても怒りや負の感情が湧いた時、たった一人でもじっくりと話を聞いてくれる人がいれば、凶行には及ばないんじゃないかなぁと。