一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

こういうやり方でしか抗議できない

言葉で抗議することを諦めた、弱者の歪んだ抗議・・・

先日の、(それ以前からでもあるけど)親からの嫌味がずっと引っかかって、ミニ四駆、プラモ、フィギィア等怒りに任せて全部捨ててやった。「こんな物を買っちまったから、あんなことを言われんだ!」「これで満足か!」と。

買って早々こんなことになるとは夢にも思わなんだ・・・。

正直言うと家に立ち寄ると連絡があったので、片づけようと思ったんだけど、ひょっとしたら「案外何も言われないかもしれない。そうなれば、安心できるじゃないか」と試してみた。結果はこの有様です・・・。

もう清々しましたよ。意外な程何も感じない。

結局上手くいかない、認めてもらえない鬱屈した人生の渇きを誤魔化す物でしかなかったのか・・・。「必要な物」ではなかったと。

物欲なんて言うのは、「ハンバーグに付いてくるコーン。牛丼に付いてくる紅ショウガ」なんですよ。そんなものでは腹は満たせない。他人は認めてくれないのですよ。

 

ただ悲しいのは「こういうやり方でしか抗議できない」情けなさである。

子供の頃親に不満があって喧嘩しても、こっちは「親!」お前は「子供!」とまともに取り合ってもらえず、怒りに任せて物を破壊したことがないだろうか?アレである。

何を言っても無駄なのだ。反論するやいなや、自分が働いていないことを一点集中で攻撃してくるのだから。そこを突けば、何も言い返せないのを知って言うのだから。こっちの方がずっと苦労しているんだ!と。

「無職の分際で趣味を楽しむな」と言ったって、そのお金は全部正式な手段で手に入れたお金じゃないですか。

小遣いだったり、件の給付金だったり、何かの手伝いの手間賃だったり

金をくれと言ったことなんて無いし、拾った金でも、間違っても犯罪ではないのです。であれば、その使い道は自由なはず。

特に趣味の物で部屋を圧迫してるわけでもない。(ミニ四駆のコースは圧迫しますが、すぐに片づけられる物なので、多少は・・・)それなら妹がいた時の方がよっぽど酷かったのだ。

趣味の否定は人格の否定に等しいと、そう思いませんかね。

ダメージが大きいですわ・・・。

 

なんだろう復讐か?復讐なのか?マウンティングなのか?

 

抑圧されても耐えることはできる、でも不満やストレスが消え去るわけではなく、ずっと心に燻り続けるのである。

リストカットなんかも「正しく怒れない、怒りを受け止めてもらえない」ことに対するストレスの噴出なのだろうか・・・。

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