人間関係こそがその人を形作る!
病院の付き添いの帰り道、祖母と母がくっつくと厄介なことになる。
いろいろな雑談から発展して、弟や妹の話になり、それらと比較して自分のことをバカにするような発言に発展することが少なくない。本人がいる前で言うか!と。
詳細は避けるが、これを「全く無自覚に」やってのけるのだから質が悪い。
思えば、兄弟から別の誰かまで何かしら「あれができる、これができる」「容姿が良い」云々と評価することがあるのに自分に対しては一つも、一つも評価されたことがないように思う。何故だ・・・。いやこんな状態だから言われて当然なのかもしれないけど、意外に「そこ」はさほど言われない。もうそういう風な共通認識になっているのかもしれない。無意識に。
養ってもらっていることには感謝すべきだけど、家族といると「できの悪い長男」という役割になってしまって自分がダメになる・・・。
悩み、自信、充足感、感性。それらのほぼ全てが他人、つまりは人間関係によって作られると考えている。
単純に人付き合いに悩むのは勿論、一見関係なさそうな「自分はダメなんじゃないか?何もできないんじゃないか?」という自信の喪失も大部分が他人との関係性に寄ると思う。
「努力して変えればいい」確かにそうだ。しかし「何を、どう努力すべきかの判断」更にそれを努力として認められるのに他人の評価が不可欠なのである。自分で自分に「価値を付ける」ことは不可能である。
悩んでいるあなたの周りに一人でも、どんなささいな事でもいいから評価してくれる人はいるだろうか?「見てくれる」人はいるだろうか?
チマチマと見下すような発言を全く無意識にされてはいないだろうか?そんな環境にいると人間ダメになる。保障します!
よく下げる夫、妻みたいな話を聞いて今までよくわからなかったけど、今なら何となく察しが付く・・・。
ある人がダメ人間・・・というよりは正確には他者によってそう定義、評価されるのである。相対的であるので、その人が自分よりさらに出来の悪い集団に属すとしたら、優秀な評価になるかもしれない。
「自分の考えや行動、感受性は変なんじゃないだろうか?」これも相対的なことで、他人を介して判断されることである。同じような人とつるめば、たちまち変ではなくなる。
そうやって考えていくと自分が思っている以上に人間関係、付き合う人間は自分の自信、感性、生活環境、人生に多大な影響を与えるのだと思う。
付き合う人間は選べ!
あなたの事を「見てくれる」、ささいな事でも評価してくれる、そして微妙に感性が違っていて、そのことを確認し合える、おかしなことをしたら上手く注意、指摘してくれる、そういう人間関係を築くのだ!
偉大なことのできない、大したことのない自分でも納得できる、豊かな人生をきっと歩めると思う。
自分を変えるのではない。付き合う人の中で変化していくのである。