前から気になっていて、ようやく読むことが出来たのでちょっとした感想でも。
内容としては「令和のひきこもり学」といった感じでしょうか。
8050問題を絡めた現在のひきこもり事情から、あるべき支援の考察、家庭内暴力への対処、中盤では「ひきこもりを巡る誤解」としてQ&A形式で答えていただけます。
本人が安心してひきこもれる関係を作る。
ひきこもりは自力で、スパルタで治る?
欲望を枯渇させないために小遣いはあげるべき。欲のない人は無敵。
親が甘やかすから引きこもるのか?
ひきこもり予防という発想を捨てることが最大の「予防」になる。
などなど・・・。おお、いいじゃない!
それにしても読んでいるといろんな拗れ方がある。信頼の喪失。そこからの関係の断絶。家庭内暴力、悪徳支援ビジネスのトラブル。
自分は親との関係が怪しい面がありますが、それでも大分マシなんだと思わざるを得ない。人によっては他者との関係を断絶せざるをえなかったり、支援機関を頼ることも難しかったりすることもあるのでしょう。
関係の断絶や家庭内暴力。一体何があるとそこまでいってしまうのか。
ただ、恒常的なストレスが人をおかしくさせることは身に覚えがないわけではないです。甘えや怠けと言うよりは、社会や他者との関係性の問題なんだと思います。
途中、ひきこもりのサバイバル方として、生活保護などの福祉に頼るという話が出ますし、それ自体は客観的には「事情は人それぞれあるだろうから仕方がないよね」と思いますが、主観的には「あぁ・・・生活保護かぁ。もう人間失格だ。世間に顔向け出来ない。自分を説明出来ない」と暗澹たる気分になりませんかね・・・。それこそ会う人全てに否定されるような・・・。
本書の中で特に感銘を受けたのは、対話を巡ってのある当事者の話。
説得では『結論』が先行している。結論が先行しているのならば、ひきこもり当事者は何を言ってもモノローグになってしまう。
親との会話を壁と話しているように私が感じたのは、動かしがたい結論が先にあることから生じる無力感が原因だった。
このように、ただ一つの結論や答えに収束させようとする『閉じていく会話』では、当事者の主体性や自発性は生まれない。
むしろ、当事者を無力にする。『働け』と、ひきこもりを『説得』しても無駄なのは、指示や説教が当事者の力を奪うからだ。
指示や説教、議論や説得、アドバイスやダメだしは、その内容が正しいかどうかにかかわらず、当事者の力を奪ってしまう可能性があります。
傾聴関係の本も別に読んでいまして、そこでも同じことが書いてある。
このことは体感的にも本当によくわかる。苦しかった。故に自分はこうなってはいけない。「開かれた対話」を目指さなければならない、肝に銘じておかなければならないと強く実感します。
それにしてもこの状態を一人で解決できないことは重々承知しています。
だからこそ支援機関を頼ったわけですが、自分の言い方が悪かった部分もあるでしょうが、説教や強要に発展したり、何をすべきかわからなかったり、就労問題としてしか見てもらえなかったり、話さなければ良かったと後悔したり、本当に気が滅入る体験ばかりを重ねてしまって、果たして支援機関が信用たるものなのか、一個人としては疑問を禁じ得ないです。
本書は当事者向けではなく、その家族や支援者向けへの内容だと思います。
とはいえ、当事者が読んでも膝を打つことがあるでしょうし、救いになる部分もあるでしょう。
良かったら一読してみてはいかがでしょうか?