一本道を歩いていると、前から数百人はいるだろうか、大学生とおぼしき集団が来た。
人混みが大の苦手で、気持ちがぞわぞわしてきて大変なストレスなんだけど、逃げ場がないからもうどうしようもないよね。
それはともかく見ているとほとんどが社交的といった感じで、グループを作り談笑しながら歩いていた。
口下手で、2人以上になると会話を回せなくなるので、ああいう人間には、世界には、ついに入れなかったなぁとしみじみ思う。
一般的には非社交的なことは否定的に捉えられがちだけど、本質的には優劣なんかないでしょう。
どちらにも「長所短所や悩みはあって」、それらは相対的で、見る人によって、捉え方によって、社会の流れによって、その場の空気なんかでいくらでも変わります。絶対はないでしょうと。
それに優劣を付けたがる人がいるとすれば、「優に属している人」ではないかと思う。
少なくとも劣にいる人がつけていることを自分が知る限り見たことはない。
優の条件を満たしていれば、それでもう合格なのだからこれほど楽なことはない。更に劣にいる人を下に見れば、自分の優位性を一層強化できるのだから尚楽である。
劣に属する人も、いろんな人からそう言われることによって抵抗虚しく、いつのまにか、無意識に劣っているという認識を引き受けてしまっているように思う。
浅はかな考えでしょうか。