若者サポートステーションの面談を「企業への面接」と親に勘違いされる珍事があった。LINEでのやり取りだったけど、そりゃあもう喜びましたよ。ぬか喜びだけど。
前にも書いたけど、腹の底から不快感が湧いて出てきた。だって悔しいでしょう。
働くこととか、人間関係とか、劣等意識とかで小学生のころからずっと悩んできたし、その事に関してロクに話を聞いてくれなかったし、会う度に厄介者として叱責され続けてきた。社会に出ていって働いて自立することなんてできないから、何もできない無能な自分を受け入れ叱責に耐えてひきこもるしかできなかった。
親の一言一言が自信とか気力とか、そういったものをじわじわそぎ落としていくわけですよ。本当に自分には何もできない、何も変えられない。あらゆる人を見ては劣等意識に苛まれる。そういう鎖でがんじがらめにしてしまった。そんな状態になる一翼を担った人が「味方は自分だけ」とのたまうのだから、言葉を堪えるので必死だった。
それがなんだ、面接が決まった(と、勘違い)だけで、飛びあがるかのような喜び具合。悔しいでしょう!やるせないでしょう!
親や背後にある世間としては、やはり単なる就労問題、甘えでしかないのか。そこに自分なんていないんだよ。
しかももし本当にそれで仕事が決まったとしても、単に再就職しただけであり、31歳高卒、資格もスキルも無い元ひきこもりにできることなど高が知れている。またつらい労働に耐えるだけの日々が続くに決まっているじゃないか・・・。
その後があるんだよ。その後が!
ひきこもる人に、社会を拒絶する人に味方なんていないよ。味方「の様な人」なら溢れるほどいますがね。