一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

ストレスフルな会話とは

もう何度も言っちゃうけど、「会話とは、他者との関係はどうあると良いのか?」というようなことを本を読んだり、動画を見たりして考えることが多い。

サポステのおかげでそれをようやく実践に移すことができ、挨拶は勿論、表情、声色など話しやすい雰囲気を作れるよう頑張っている。

相手と話すときには逆に窺うようにして、相槌などの非言語、会話の内容や今の流れがどんな感じなのか慎重に進めるようにしている。本当に学ぶことが多い。学びの場としては、月6回では少なすぎるくらいである。

そのおかげか、数年前のコミュニケーション能力のトレーニングの時には人間嫌いで壁を作っていたのが、(結局破綻した)最近では「いつも笑顔で、よく答えてくれるから良いね」とスタッフの受けがいいような感じがある。

利用者の皆からはどう思われているだろうか?ある人からは話しやすいと言ってもらえたけど。

なんだかんだ言って、丁寧に話しかければちゃんと返ってくる。受け入れてもらえるようで、嬉しいものです。

 

さて、これらの態度は実は反動なのではないかと思うようになってきた。

家では常に親から小言を言われる毎日だし、そうでなくとも親の会話の仕方が「その場で思ったことを一方的に投げつける」会話ばかりでとてもストレスなのだ。そして全く無自覚である。こんなものをね、会話だなんて呼びたくないですよ。

ああせよ!こうせよ!やらないとこうなる!ああなる!

事が自分の思い通りにならないと露骨に不機嫌になる。

一緒に暮らし始めて4か月程。はやくも苦手意識が出てきて、会話中顔が上がらなくなった。もうね、体が拒否するんだよ・・・。

その癖嫌な部分が自分と似ている。理屈っぽい所とか、ああいえばこういうとか、お前もそうだろう!と論点をすり替える所とか・・・。で、親は全く反省しない。

人のことを年の割には子供っぽいとかいうけど、大概だよ。

職場や友人間はそれで成立するのかもしれないけど、60歳おばちゃんの無神経な会話術やノリを30代にぶつけないでほしい。

俺はサンドバックでも、感情の無いマネキン人形でもないんだよ・・・。どこを見て話しているのか。正直関わりたくないでしょ、こんな人。

独り立ちできる実力を身に着けられるかどうかが、自分の人生を生きるカギだね、こりゃ・・・。

 

だ、か、ら、自分はこんな人間になってはいけない!目の前にいるのは「他者」であって、自己の延長上の人ではない。よく聴き、よく知り、よく考えなければいけない!

尊重されない人生なんてつらいでしょう?だから、自分で作るのだ!尊重されたかったら尊重してみせろ!尊重し、尊重しあえる関係を!あんなものは捨てて、外に開いて、敬意のある自分なりの世界観を形作りたい!

こんなところが人間関係を作りたい動機であり、欲求である。しかしこれは自分の欲望のために他者を巻き込むことに他ならないのではないか?と不安になってきた。

こんな形でしか他者と関われない。もっと自然にあるべきなんだよ・・・。

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