一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

名前は凄く重要

今日も若者サポートステーション。怒りのコントロールセミナーに参加してきました。

いつも一番乗りで行くので目立つせいか「君は常連だなぁ」と職員から声をかけられた。これは自分という存在が印象づく良い兆候か?

 

先日少しKさんと話ができて、いろいろ聴きたいこともあったので今日は来るだろうか?と期待していたら来てはくれたんだけど、席が離れてしまった。というか、自分の隣にすでに座った人がいたので予定が・・・。なんでこう上手くいかない!

Kさんが先に帰る際に「Kさんお疲れ様~」と手を振るくらいはなんとかできたから、良しとしよう。

で、正面にIさんが来たので、Iさんといろいろ喋っていたらまわりに広まって最終的に4人で雑談という感じになった。親のことや就職のことなどね。おおこれは凄い!集団での会話は苦手というかほとんどできないのだけど、皆に話題を振ってみて答えてもらえたし、あれはあれで良かったと思う。

人の話を聴いているといろんな考えや経験が垣間見える。親との関係で悩んでいたり、社会復帰に踏み出せなかったり、孤独であったり、サポステに通うことさえ難色を示されたり、肯定してもらえなかったり、人は皆自分の話を聴いてもらいたい。などなど。

単なる「利用者の一人」では決してわからなかったことだろう。

以前「傷の舐め合い」と書いたけど、それよりかは世界観の共有というか、理解できないけど理解に努めてみるというか、そんな印象を受けた。別に舐め合いでもいいと思うけどね。

それ以外にも今日話した利用者さんの一人がもの凄く話が長いというか、小さくまとめてリズム良くキャッチボールというのが苦手な人なのか、ばーっ!と喋って、はい、終わり!という感じで聴いていても「お、おう・・・」という印象しか持てなくて、会話の在り方も考えさせられる。あれでは人は離れていくよ・・・。

 

 

後はもう一つ印象的だったのが「名前の重要性」

もちろん自分は心得ているので、在職時代から初っ端からメモを取って憶えるように努め、挨拶や話しかける時には必ず名前を付けるようにしている。

礼儀としては勿論だし、名前を憶えてくれると重要な存在なのかな?と印象づくものでしょう。

それで今日は上記の人から「この人」って呼ばれて、「いやいや、最初に自己紹介をしたし、なにより名札を首に掛けているんだから名前で呼んでよ・・・。俺はあなたの名前を初対面で憶えたぞ!それに俺たち何度か顔を合わせているんだけどなぁ」と、もやもやした気持ちになった。単なる利用者の一人に過ぎないのか・・・。

 

ああ!名前ってやっぱりすごい重要だわ!

ですから、皆さんも誰かと仲良くなりたかったら名前を意識してみてください。

 

 

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