今日は若者サポートステーションで臨床心理師の方との面談。大体いつも月の終わりに入れることが多い。
ここのところ塞ぎがちで、セミナー中にもポロっとそのことを喋ったら、自分の担当の例のお爺さんが「それはな、考え方が偏っとるんや。面談に付き合うから日程を決めよう」と提案されたが「いやぁ、まだ今月の予定を決めていなくて・・・」と即行断った。もううんざりである。面談になんてならないじゃないか・・・。
何故頼んでもいないのに勝手に「担当」を決められるのだろう。意思の弱い人だと、担当が合わなかっただけで、もう来ることをやめてしまうかもしれない。チェンジ!なんて言っても角が立つし、通いにくくなるだろう。
今日の帰り際にもあの人は面談をしていたが、その話し方はどこか押しつけというか、断定的というか、威圧的というか、そんな印象をやっぱり受ける。
話を戻すと
現状抱えている問題、就労以前に自己肯定感や自信、心理的な安全性を欠いていて、とても不安定で動き出せないというようなことを話してきた。
そりゃあ、ひきこもって部屋にいつも一人でいて、親に否定されたり疑われてばかりではそうもなるだろうと自分では思う。特に2者の閉じた関係だと、話が力や立場の差で決まりやすい。
家が心理的に安心できる場でないのなら、外に見つけられないだろうか?そして多分それは良い人間関係なんだと思う。仲間とか友達とかね。そう思い立ったのが去年の今頃・・・。
だけどもそれも全然上手くいっていない。挨拶と2、3の話しかけや問いかけ程度が自分にできる現状なんだけど、その程度では進展はしないよなぁ。そもそも会えない問題もある。交流に使えそうなセミナーは月に5回しかないし、相性の良さそうな人が来るかどうかはわからない。後はここ最近、卒業したのか嫌になったのか、人の移り変わりが激しくて困惑することが多い。常に顔と名前を覚え続けていかないといけないから、とても疲れる。
就職活動は嫌で、他者との関りによる刺激や自己肯定感作りも上手くいっていない。
そんなもんだから、親からの問いかけにも満足に答えられず、不信感を持たれる。
何をやっとるんだ、自分は・・・!!
「至らないところはあるけど関わってくれる人もいるし、まあ、いいか」
そんな風に思えたらどれだけ救われるだろうか。
自分との関わりの中で、問題をはっきりさせてくれる。その上で無理なくできそうな道を教えてくれる。そんな信頼できる伴走者がいてくれると復帰できるのかもしれないし、それを探したい。一人では塞ぎ込みがちで、視野も狭くなる。
一方、今日の面談を通してやっぱり無意識の内に避けているのだとも思う。ちょっと言い訳が入っているとも言われた。
結局どれだけ話しても、事情を言語化しても「どこかで踏ん切りをつけるしかない!」に行きついてしまう。
根拠の無いまま、自信の無いまま、信頼できる協力者のいないまま、一人で嫌なことに立ち向かう。変化を起こすために行動する。いつだって腰の重いことだよ。なんで皆社会復帰できるのだろう。