一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

自分の時間

ストレスや悩みで「あぁ~!!」なんて気分になった時にはぷらぷら歩くに限ります。

何も解決しないが、緩い運動がどことなく気分を落ち着かせてくれる気がする。

夜の11時の公園となると人っ子一人いない。昼間は濁った池で見るに堪えないが、夜なら光が反射して綺麗である。

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昼間は暇を持て余したであろう、老人やおばちゃんが、夕方はそれに加えキッズがたむろしており案外騒がしい。

しかしこの時間なら誰もおらずゆっくり過ごせる。なんだかようやく自分の時間が回ってきた。そんな感じがする。

変質者に出会わないか少々不安ではあるが、よくよく考えたら自分こそが警戒されるべき人間だということに気が付く。

 

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こうしてぼんやりしていると、過去の事とかこれからの事とか、いろんな事に思いを巡らせて切なくなるやら嫌になるやら。

未来に希望は持てないし、過去を思い起こせば嫌なことばかり、人と話せば要求されてばかりなんだ。

そうだ、ああすれば!こうすれば!と一瞬やる気になったりもしたが、すぐに意気消沈。そもそもそんなことが可能なのか?自分にできるわけがない、自分で自分が信用できないと。

もし、うまくやっていける仕事に就けたら、誰にも何も告げずに消えて、ひっそり生きて、ひっそり死んでいきたい。そんな事を考えていた。

本当にうんざりだ

久々に親に会ったかと思えば、就活はどうだ?と始まり、前に自分の職場にいた〇〇君はあんたより酷い発達障害で、暴れたりして手に負えなかったが、そんな人が今ではバスの運転手で、更なる上を目指しているとか、妹の元カレがネットのニュースで取り上げられていて、この人もあんたより酷い発達障害でいろいろ挫折してきたが、今ではバーを開業して、ブログでいろいろ発信しているから見てみろと。

 

一体どういう心境でこういう話をするんだろうか。

それ見て聞いて、「よし!自分もやってみよう!」なんて気になると目論んでいるのだろうか?なるわけないじゃないか!

自分だって、今までいろいろ転職したり、支援施設を頼ったりしてきた。「何もしていなかった」わけじゃない。だけどダメだった。そんな話を聞くたび、どうして自分は彼らの様になれないのか、どうして彼らにはチャンスが巡ってくるのだろうかと、悲しいやらやるせないやら複雑な気持ちになってくる。

 

そんなこと言ったって、親はいつまでもいない、こっちだって大変なんだ、悩みがどうこうより、現実を見ろよ現実を。

こんな調子だから自分も機嫌が悪くなり、終いには「あんたの考えていることはわからんし、気難しすぎる」となる。

こういう人は「わからない」ではなく「考えようとしない、知ろうとしない」だけである。

ここ最近嫌な事ばかり重なり続け、良い話や進展が何一つ無く、自分の中のコップは常に満杯に近いんだ。そんな中だから余計にイライラしてしまう。

親と上手くやっている当事者って存在するのだろうか。

 

現実がどうのこうのと考えられる人は、引きこもりになんてなったりしない。

そういう人が社会復帰するには別の根拠が必要なんだと自分は思う。

「働け!」なんて命令してくる人は口は出すが、手は出さないのである。

明日も支援会社に行くわけなんだけど、どうにかできるのだろうか。

普通の事が出来ない人

親曰く、自分の職場の人が言っていたが、盲目の人でも会社に採用されて働いているんだから、あんたもやれるだろうとのこと。

しかし、その人は言い方は悪いけど、遥かに「わかりやすい人」だし、恐らく補助金等が会社へと入るんでしょう?

 

思うに、障害を持った出来ない人は良くても、「ただの」出来ない人は許されないのである。

 

話さなきゃよかった

例えばあなたが何かに悩んでいて、そんな事情をある程度知っている人が「その後調子はどう?」と聞いてきて、悩みを話すとしようか。

その時どう思いますか?話して良かった。そう思えますか?

思えるのなら素晴らしい!その関係を大事にしてください。でも、自分は違う。これまでずっと働くということに悩み続けて、現在胡散臭い就労支援を受けているわけですが、正に「調子どう?」と親から連絡が来たわけです。

ちょろっと胸の内を語ってみましたが、やっぱりダメだ。話さなきゃ良かったと後悔。

向こうは聞く立場の人だからと、これまでいろんな人に話してきたけど、殆どの場合「話して良かった」と思えた試しがない。

何故あの人たちは聞く気も無いのに聞いてくるのか。そんな連中に限って聞いてくるのか。

社会が、世の中がどうこうより、その人が気に入らないから、生意気だと感じたから否定するのでしょう。

そういう奴は打ち負かしてやらなければならない。

自分が渡ってきた現実の厳しさを叩きこんでやらなければならない。

甘えた根性叩き直さなければならない。

自分が正しいのだと証明しなければならない。

全てお前の為を思って、心配しているからなのだと。

なにが相談なのか!?

 

こういう時必ず自分に問いかける「自分だったらどう答える?」

ズレをどうするか

世間様からすれば、お前はどうして働かないんだ!何故やろうとしないんだ!何故できないんだ!

自分からすると、何故働けるんだ!何故できるんだ!
というわけです。
 
いろんな人のブログを渡り歩いてみてわかったのは、やっぱり生まれ持った資質は人それぞれで、その「ズレ」を踏まえて支援なり仕事なりをしていかないと、10回でも100回でも挫折し、周りが普通の事「とされていること」をこなしていく中、苦しみ続けることになる。
 
短時間労働でとりあえず最低限(何をもってして最低限かは難しいですが)の生活が出来、一般的な認識になってくれれば、苦しむ人はだいぶ減るような気はするのだが・・・。
生活保護でごちゃごちゃ言うくらいなら、いっそベーシックインカムを試験的にでも採用してくれればいいのに。
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