一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

カッコいい爺さん

いつもの時間、いつもの場所を通っていると、何やら音楽が聞こえてくるじゃありませんか。

前から歩いてくるおばちゃんがクラシックの音楽でも流しているのかと思ったけど、すれ違っても音が小さくならない。

見ると、先にある小さな休憩所で爺さんが演奏の練習をしているじゃありませんか。

楽器のことはよくわかりませんが、ヴァイオリンだろうか?肩に挟んで弾いて演奏するやつなんですけど・・・。

 

何年か前にもその近くで同じような楽器を練習していたおばちゃんを見かけたけど、失礼ながら、聞くに堪えなかった・・・。

しかし、この爺さんは上手い!何であんなに早く演奏できるのか本当に不思議である!

「何年前から練習しているんですか?」「なんて楽器ですか?」「自分も弾いてみてもいいですか?」とかいろいろ好奇心をかき立てられるものの、聞けるはずもない。

楽器を触るとか、絶対嫌がるだろう・・・。

ならばもう少し演奏を聴いていたかったけど、変な奴がおる!とか思われても嫌だったのでその場を後にする。

 

羨ましいなぁ、憧れるなぁ。

先月齧ったギターは最近ようやく幾つかコードを覚え、何となく押さえられるようになってきた程度。しかし、なかなか思うように指が動いてはくれない・・・。

本来ならば、5時間でも6時間でも練習するべきなんだろうけど、いかんせん集中力、気力が続かない。一日一時間程度と時間を決めて、その代わり「毎日継続する」のが自分流なのだ。これでようやく続けられるのだ。

弦を押さえるときに余計な力が入るのか、指の痛みが長引くようになってしまった。

 

そのギターも右利き用で、それを弦を逆に張って対応している。

一見左右対称に見えるんだけど、ブリッジとナットの向き違がって、これがどう影響するのかわからない。後々問題になるんでしょうか?

こっそり使っていた妹のチューナーも奴が持って行ってしまったので、チューニングもできない。(元々あいつの物だから文句を言うのがおかしいわけですが・・・)

 

それにスタンドが無いのも考えていたより深刻である。

壁に立てかけて対応しているわけですが、これが何かの拍子に倒れてしまう。

楽器を扱う者にとって、あってはならないことでしょう。

痛むのは勿論、チューニングがズレた可能性がある・・・。

練習もそうですが、この二つを入手するための資金調達をなんとかしなければ・・・。

 

今日の一曲


Doug Smith - August 23rd (Track 04) The collection ALBUM

前途多難

塗装の失敗とボディの溶解からなんとか立ち直り、もうこれ以上の失敗は・・・と思いたいところだけど、それは許されなかった。

デカールを貼り終え、研ぎ出し前のクリアコートまで終了したのだが

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なんか欠けとる・・・。

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こっちが正常な状態。

 

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密着していなかったのか、溶剤を吸って浮いてきたのか・・・。

下手に修正しようとすると、状況を悪化させるだろうか。

 

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こちらはコート前に発見し、修正を試みたけど密着している所とそうでない所の差の影響なのか、修正しきれず現状維持。

 

他にはひび割れなんかもあったりして、タッチアップで可能な限りは修正したけど、細かい所を見ていくと見苦しいし、キリがない・・・。

初めて作ったカーモデルがランチア・デルタHFインテグラーレのラリーのやつで2年ほど前になるでしょうか。

あれから幾つか経験して、同じだけ失敗して、慣れたつもりではありましたが、特に大判デカールを曲面やエッジに対し、綺麗に貼るのは極めて難しいと実感したキットでした。

これらも、数多くの失敗を経験した自分にとっては取るに足らないことである。

常人なら白目を向いて「なんでや!!」と叫び、やる気が削がれるだろうが、今更この私に「それ」はない!あるのは「なんとか完成させる」というシンプルな思想だけだ!

 

まあ誰だって、綺麗に作りたいに決まっています。

だけど、人生と同じく全員がそうできるようには残念ながらこの世は出来ていないのです。

綺麗に作ったところで誰が評価してくれるわけでもない、しかし失敗したからといって、咎める人もまた、いないでしょう・・・。

苦労も成功も、確かなことは、自分だけはそれを知っているということだけです。

 

いつまで経っても変人のまま

人付き合い、特に家族はとりわけ疲れる。

家族は自分で自分のことを「普通」だと思っている人たちだ。

取り立てて興味のない会話空間に居続けることは疲れるし、参加するのはもっと疲れてしまう。

あまり聞かれたくないことを質問されることもあり、無視したいところだけどすれば無愛想、渋々答えれば不機嫌なやつ。どうしろと。

車に乗っている時なんかは母と祖母が、弟夫妻がいかに仲良く、妻が夫を立てているのかの自慢話?や子供の話ばかりでうんざりしてくる。遮断したいがどうしようもない。

複数人で行動すると、自分のタイミングを決められなくなる辛さがある。

 

外食、特に休日なんかは行きたくないと何度も言っているのに、流れ的に付き合う羽目になる。今日も途中で降ろしてもらって歩いて帰る交渉をしようかと、何度も悩んだものです。

案の定店は込んでいて、後ろの男3人連れが、これがまたうるさいのなんの・・・。

あの喧騒が、どうして皆平気なんだろうか?

 

夕方祖母が(2年前に愛犬を亡くしたこともあってか)犬を飼いたいということで見に行ったとき、自分は「どんな犬を飼うのか、直前までわからない方が面白いかも」という理由と「犬の鳴き声が耳に痛かったし、説明が長びいて聞いていると疲れでボーとするだろうから」という二つの理由で少し離れた所で、二人を待っていた。

すると「犬を飼う話をしていたのにどうして参加しないのか」なんて言われるんだ。

自分は「心の平穏の為、そうしたくてそうしていただけなのに」

なるほど、こういう感性の人たちと一緒にいると、自分は永遠に不機嫌で、会話に参加しない無愛想で、気難しいやつという烙印を押され続けてしまう。

「人間は他人との関係性の中で存在する」という話を時々思い出す。

自分って一体何なのだろうか・・・。

 

まだできることはある!

先日の大惨事で一時「これの修正はもう無理だ」と諦めてアマゾンの欲しい物リストから救いの手は差し伸べられないかと考えていたのだが、どこの世界に明日食べる物にも困っているというのならともかく、道楽の救済のなんぞしてくれる人がいるのか!?というごく当たり前の事に気が付いた。あまりのショックに頭がおかしくなったのかもしれない・・・。

仮にもしそんな奇跡が起こったとしても、必要なのはボディのパーツだけで、他の9割以上のパーツは不要となってしまう。それはあまりに申し訳ない・・・。

ほぼ完成したシャーシを見る度に「このまま諦めていいのか!?」という心の声が聞こえる。ということで、できるだけやってみて、ダメなら諦めようとコツコツ修正してみた。

 

例えるならジャガイモの皮むき、荒れ地の開墾に近い。

プラスチックが溶けたせいで指紋やらハケの後やら、溶け残った塗料がこびりついていて、見るも無残な状態だった。

それを水戸黄門とかに出てくる、暗い部屋で掘ったり塗ったり描いたりする職人の如く、丁寧に整えていくのだ。

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サフを吹いて磨くを3回程繰り返して、スジボリを掘り直し、ようやく鑑賞に堪えうるレベルになった!やってみるものである!

ボディ色のホワイトまで完了して、エッジが若干甘くなったことと、奥まった部分の極細かい傷以外は問題なし。もう疲れたのでこれで良しとすることにしよう。

それにしてもまだ軽度だから良かった。これを塗料が落ちるまで、どっかに出かけてこようなんてやっていたら、もうどうすることもできなかったであろう。不幸中の幸いである。

 

作業中何度も思った。「何でこんなことをやっているのだろう?あの日あの瞬間までは何も問題は無かったのに・・・」「時間を巻き戻せたら・・・!」と。

思えば人生もそんなことの連続である。学校や仕事や就労支援や人間関係とか。

失敗なんか無い方がいいんです。傷つくし、後が大変だし、やった事が上手くいって認められるなら、その方が断然良いでしょう。

でも、幸か不幸か世の中そうはなっていない。ならない。

どうやったって失敗する。二度と同じ瞬間は訪れず、対策は完璧に思えても、わずかな違いでミスを引き起こしてしまう。仕事もそうだった。

失敗をどうするか、難しいものです。

 

きっと金があったら新しくキットを買って「ああ高いに出費になった・・・」で済ませたであろう。

だけど変な話ですけど、金で解決できないから「さて、この状況から一体どうする?何が出来るのか?」と考える。

安易な解決策が無いからこそ、努力する、考えるきっかけにはなったのかなと思います。

 

ただ、世のプラモ系のブログを書いている人ってまず、より高みを目指す努力をするじゃないですか。

自分の場合、説明書通りに作って、完成間近になると何か致命的な事をやらかして、マイナスになり、マイナスから0に近づける努力をすることになる。何も今回が初めてではないのである。

この努力の仕方はいかがなものか・・・。

匿名作戦

先の失敗から「何とかできんか!?」とボディパーツを見る度に絶望的な気分になる。

ペイントリムーバーを使った時に、「あれ?落ちが悪いなぁ」と思ってブラシで擦ったのが状況を一層悪化させてしまった。

パーツ全体にワイヤーブラシで磨いたかのような傷が全面についてしまって、平らな面ならともかくモールドの傍や、奥まった所の修正は極めて難しいし、出来たとしてもそもそもそ「元の状態」にはなりえないだろう。

やはり買いなおす以外にないという現実を突きつけられる・・・。

 

しかし、先日病院の就労支援デイケアに通い始めたので交通費が掛かる。不用意にお金を使うと後々大変なことになる。

そこで思い出したのが、以前あるブログを書いている人に「応援してます!」という意味を込めて、アマゾンの欲しい物リストから物を送ったことがあった。

確かあの時リストは匿名だったはず。引きこもり名人のあの人もつい最近神から贈り物を貰ったと仰っていた!あれに賭けるのだ!!

 

ということで調べて実際に作ってみた。おお神よ救いの手を!

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