先日の大惨事で一時「これの修正はもう無理だ」と諦めてアマゾンの欲しい物リストから救いの手は差し伸べられないかと考えていたのだが、どこの世界に明日食べる物にも困っているというのならともかく、道楽の救済のなんぞしてくれる人がいるのか!?というごく当たり前の事に気が付いた。あまりのショックに頭がおかしくなったのかもしれない・・・。
仮にもしそんな奇跡が起こったとしても、必要なのはボディのパーツだけで、他の9割以上のパーツは不要となってしまう。それはあまりに申し訳ない・・・。
ほぼ完成したシャーシを見る度に「このまま諦めていいのか!?」という心の声が聞こえる。ということで、できるだけやってみて、ダメなら諦めようとコツコツ修正してみた。
例えるならジャガイモの皮むき、荒れ地の開墾に近い。
プラスチックが溶けたせいで指紋やらハケの後やら、溶け残った塗料がこびりついていて、見るも無残な状態だった。
それを水戸黄門とかに出てくる、暗い部屋で掘ったり塗ったり描いたりする職人の如く、丁寧に整えていくのだ。
サフを吹いて磨くを3回程繰り返して、スジボリを掘り直し、ようやく鑑賞に堪えうるレベルになった!やってみるものである!
ボディ色のホワイトまで完了して、エッジが若干甘くなったことと、奥まった部分の極細かい傷以外は問題なし。もう疲れたのでこれで良しとすることにしよう。
それにしてもまだ軽度だから良かった。これを塗料が落ちるまで、どっかに出かけてこようなんてやっていたら、もうどうすることもできなかったであろう。不幸中の幸いである。
作業中何度も思った。「何でこんなことをやっているのだろう?あの日あの瞬間までは何も問題は無かったのに・・・」「時間を巻き戻せたら・・・!」と。
思えば人生もそんなことの連続である。学校や仕事や就労支援や人間関係とか。
失敗なんか無い方がいいんです。傷つくし、後が大変だし、やった事が上手くいって認められるなら、その方が断然良いでしょう。
でも、幸か不幸か世の中そうはなっていない。ならない。
どうやったって失敗する。二度と同じ瞬間は訪れず、対策は完璧に思えても、わずかな違いでミスを引き起こしてしまう。仕事もそうだった。
失敗をどうするか、難しいものです。
きっと金があったら新しくキットを買って「ああ高いに出費になった・・・」で済ませたであろう。
だけど変な話ですけど、金で解決できないから「さて、この状況から一体どうする?何が出来るのか?」と考える。
安易な解決策が無いからこそ、努力する、考えるきっかけにはなったのかなと思います。
ただ、世のプラモ系のブログを書いている人ってまず、より高みを目指す努力をするじゃないですか。
自分の場合、説明書通りに作って、完成間近になると何か致命的な事をやらかして、マイナスになり、マイナスから0に近づける努力をすることになる。何も今回が初めてではないのである。
この努力の仕方はいかがなものか・・・。