一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

皆頑張る

向かいの棟からいつもピアノの練習の音が聞こえる。

南にある一軒家では、いつも昼過ぎにおっさんが狭い駐車場でバイクに跨り、何かをやっている。

散歩コースの駐車場では車の中でトランペットの練習をしている人がいて、別の場所では爺さんがヴァイオリンの練習をしているのだ。

何を目指しているのかはわからないけど、皆頑張っている。

彼らが人に注目されたいという願望が無いなら尚凄いことである。

 

例のギターは幾つか簡単なコードを覚えたものの、リズムを止めずにコードチェンジはなかなか出来ないし、オルタネイトピッキングも以前、アップの時にどうしても引っかかって音が揃わない。

動画で勉強するも、肝心な「振る速度」とか「ピックの角度」とか「腕や手首の動かし方」とか「真下に下ろせばいいのか、少し角度をつけた方がいいのか」とか知りたいことは何故かノータッチという。

わからないことを直接聞けない。ここが独学の厳しい点だろうか。

こんな状態がずっと続くんじゃないかと不安になる。

ともかく、周りを見るとギターを弾けるようになりたかったら、練習し続けるしかないということと、幾分かの気力を貰える。

というか仕事を頑張れよという話なんですが、何故か仕事はどうやっても無理な気がしてならない・・・。

 

それはそれとして。

手元のギターをよく見ると、なんだか接合部のあちこちに亀裂が・・・。

親の実家でどれくらい使われて、(弾ける人に心辺りは無いんだけど・・・)どのような保管状態にあったのかはわかりませんが、寿命が近い・・・のだろうか?

一体何年製なんだ?と思って調べてみると75年製だった!

自分が生まれるずっと前じゃないか!90年代くらいだと思っていた。

楽器は使い込むほどに味が出る的な記述がWikipediaにありましたが、亀裂は違うんじゃないかなぁ・・・。

買い換えられるだけのお金は無いし、困ったなぁ・・・。

 

放置、苦難、挫折、そして・・・

やっと完成した。

買ったのは去年の夏ごろだったような。

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ボディを溶かした騒ぎで、いよいよもう駄目か!?と諦めかけて、いや!やれるだけはやってみようとコツコツ修正したのが実を結んだ瞬間であった。

接着跡やデカールの浮き、修正跡など、少々小汚くなってしまったが、これらに関してはどうしようもない。

メタルシール、フロントライト、テールランプ、ボンネットピンを取り付けるとビシッ!と引き締まり「らしく」なってくる。この喜びの為に苦労があったのだろう。

(いや、無い方が良いです・・・精神に悪い・・・)

 

デカールへの影響と、特にエッジの塗装の剥がれを考えて、今まで研ぎ出しはコンパウンドで磨く程度に留めておいたのを、今回は思い切って挑戦。

案の定エッジの塗装が剥がれてしまったものの、デカールへの影響は思ったより少なかった。

メーカーによって溶剤に対する耐性は結構違うのか、以前AMTのストックカーで同じことをやったらしわだらけになってしまったことがあった。

参考書通りの手順で研ぎ出しをしてみたんだけど、どうも「鏡面」にはならないなぁ。

タミヤコンパウンドの仕上げだけでは傷が消えきらないような。

 

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大抵「ディテールアップパーツ」として、別売りになるであろうエッチングパーツが付属していて、ランチア デルタを作った時には「見えないじゃん!」と肩を落としたものですが、今回はしっかりと見え、足回りやフロントグリルやラジエーターなどを引き立ててくれる。

タイヤのデカールがあっさり剥がれるので注意・・・。タイヤデカールでは再現できないのだろうか?

 

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省略されがちなライトポッドも付属。

シャーペンの芯みたいなピン3本とパーツのピンで固定するようになっているんだけど、いずれも緩々で位置合わせが大変難しく、少々歪んでしまった。というか、ベルキットの作例も同じように歪んでいるじゃないか・・・。

 

 

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シートベルトを作る時、実車と同じように金具に通していくのが、このサイズでは大変難しく、いつも簡略化していた。どうせ完成するとよく見えないし。

ベルキットの他の製品の作例?の画像を見つけてみると、おお・・・!やっぱり同じことを考えているし、接着剤のはみ出しもある・・・しかしよく見るとなんか雑だ!自分より雑じゃないか!いいのかそれで!?

 

まあ何にせよ、諦めなくて良かったです。

パーツの注文が多分できないので、慎重に・・・。

後、ボディがABS製の可能性があるので、ペイントリムーバーは絶対に使わない事。恐ろしいことになります。

ヴァイオリン爺さん

この間見かけた例の爺さんが今日の夕方、あそこから数十メートル先にある、いつも自分が周回している池の小さな休憩所で練習していたではありませんか。

しかし、今回は前と違って少々ぎこちない・・・どうしたんだ!?

苦手な曲なのか!?つい最近弾き始めた曲なのか!?そしてそれは聴いたことがある曲だったけど、曲名がわからない・・・。

高原とか牧場とかでスキップするような雰囲気の曲だった。聴いたことがあるんだけどなぁ。

いろいろ訊ねてみたいし、側で聴いてみたい。何せ人が演奏している場に出くわすことなんてそうそうないし、人に興味を持つなんてこともまた、自分の中ではそうそうない珍しいことである。

 

それにしてもああいう光景を見ていると「自分もギターを弾かねば!」という気持ちにさせてもらえる。

これが上手過ぎると「ああ・・・自分とはレベルが違い過ぎる。あんな風になるのに後どれくらい掛かるのだろうか・・・」と意気消沈してしまう。

逆に下手過ぎると「ふっ・・・!自分の方が上手いな」と悦に浸るだけで何も得るものが無い。

自分よりちょっと上手い奴を見つけるのが、向上心を持つ良い塩梅なるだろう。

 

もう正直指が痛くて弦を押さえるのが辛いわけですが、誰が言ったか「他者と比べて劣っていることは恥ずべきことではない。しかし、昨日の自分よりも劣っているのであれば、それは恥と知れ!」というのが重くのしかかる。

一日でも弾くのを辞めてしまったら、その瞬間何かを失うような気がしてならない。

無理をしない程度に、しかし継続していこう。

スムーズなコードチェンジもジャンジャンジャンジャンという綺麗なオルタネイトピッキングも未だできない。先はまだまだ長いのだ・・・。

 

なんでこんな事をやっているのか、自分がどこまでできるのか「知りたいから」そんなところでしょうか。

岡本太郎氏が著書で「人間誰でも自分自身が自分の子供みたいなものだ」と仰っていましたが、その意味が何となくわかるような気がする。

 

ギターは一日にしてならず

「継続は力なり」という心構えで日々挑む。

一夜漬けみたいな努力は辛くて続かないけど、小さな努力を毎日続けるのは意外と出来るものです。

正直指の痛みが以前より強くなってきましたが、「痛みを耐えて続ける自分、カッコいい」の精神で乗り切るのです。

残業や休日出勤なんかでも、そう考える人がいるような気がしてならない。

 

今日出来なかったとしても明日、明日できなかったとしても明後日は・・・!と。

アップダウンを交互に繰り返すオルタネイトピッキングとかいう弾き方が上手くできなくて、とりあえず弾いていれば、「あ!?今の!」という感じで何か気づくことがあるかもしれないと、YouTubeでも見ながらジャカジャカ鳴らしていると、なんかこう無意識になってくるというか、リズムや音が心地よく感じられるようになってくる。

こういうのをフロー体験と言うのだろうか?

演奏たるもの、人に聴かせ評価されてなんぼみたいなイメージがありましたが、一人で好きに演奏していても十分楽しいという可能性を感じさせてくれます。

ただ、相変わらず音はバラバラで1弦の音だけが大きく聞こえるのは何故なのか・・・。やたら自己主張するのだ。

一体どうやったら動画人みたいに音が「揃う」のだろうか。ダウンはともかくアップの時に引っかかる感じがあるんだよなぁ。小汚い演奏から脱却できるだろうか。

 

近所から苦情が来ないかも心配である。皆どう工夫しているのだろう。

 

そうこうしていると、左利き用ギターが気になってくる。

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とりあえずギターはタダで手に入って、これは右利き用なので弦の位置を入れ替えて、無理やり左利き用として使っているのだが・・・。

 

 

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ナットが見苦しいことに・・・。これって大丈夫なんだろうか?

 

 

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サドルの向きも、左利き用の物を見ると逆になっている。音はともかくとして「弦の押さえやすさ」とかに影響は出たりしないだろうか。

 

尤も左利き用にした瞬間、突然あらゆることが出来るようになる・・・わけはないでしょうから、そう気にすることでもないでしょうかね。

放置していた絵が完成

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新・絵心教室の入門最後のレッスンを半年ほど前に途中で放置していたのを思い出して完成させた。

いつも木を描くときは「ベタ塗り」の様になってしまって、葉っぱの集合としての質感はどうやったら出せるのか未だわからず・・・。

一応影やハイライトをつけて立体感を出そうとはしているんだけど・・・。

一番奥の森はなんかもう、誤魔化してしまった。

因みに先生のお手本は左にある、たんぽぽとラベンダーみたいな花を描いていなかった。いかんでしょ。これは描かなきゃ。妙な拘りである。

 

 

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ここからようやく応用編に突入。

影の上にハイライトを置くと、立体的に見えるのが面白い。光と影の対比・・・なるほど。

 

いつも思うんだけど、何も付けていない、もしくは水だけ付けた筆で描いた絵具を「馴染ませろ」っていう指示があるんだね。

で、先生は滑らかに馴染ませていくんだけど、これがどうやっても上手くいかない。

最初だけなんとなく馴染んで、後はびくともしなくなるのだ。

擦っている音は確かにするのに、絵具は全く動く気配がしない・・・。

時間経過で乾くとか?ひょっとして不具合だったりするのだろうか。

 

このゲーム全体を通して思うのは「意外と描かない」ということ。

それでいて「割と」説得力のある絵に仕上がるのだから不思議と同時に「何を描かないでおくか」を見極める感覚が大事だということに気づかされる。

見える物全てを描くのは不可能に近いだろうし、その制限のなか如何にそれらしく描くか・・・この見極めが難しいのなんの。

 

それにしても最近、最後までやり遂げることが難しくなってきたような・・・。

嫌になるわけではなく、なんかこう自然と遠のいていく感じなんだ。

 

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