一人舞台

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

落ちてしまいそうな自分を、どうにかこうにか支えている。

ヴァイオリン爺さん

この間見かけた例の爺さんが今日の夕方、あそこから数十メートル先にある、いつも自分が周回している池の小さな休憩所で練習していたではありませんか。

しかし、今回は前と違って少々ぎこちない・・・どうしたんだ!?

苦手な曲なのか!?つい最近弾き始めた曲なのか!?そしてそれは聴いたことがある曲だったけど、曲名がわからない・・・。

高原とか牧場とかでスキップするような雰囲気の曲だった。聴いたことがあるんだけどなぁ。

いろいろ訊ねてみたいし、側で聴いてみたい。何せ人が演奏している場に出くわすことなんてそうそうないし、人に興味を持つなんてこともまた、自分の中ではそうそうない珍しいことである。

 

それにしてもああいう光景を見ていると「自分もギターを弾かねば!」という気持ちにさせてもらえる。

これが上手過ぎると「ああ・・・自分とはレベルが違い過ぎる。あんな風になるのに後どれくらい掛かるのだろうか・・・」と意気消沈してしまう。

逆に下手過ぎると「ふっ・・・!自分の方が上手いな」と悦に浸るだけで何も得るものが無い。

自分よりちょっと上手い奴を見つけるのが、向上心を持つ良い塩梅なるだろう。

 

もう正直指が痛くて弦を押さえるのが辛いわけですが、誰が言ったか「他者と比べて劣っていることは恥ずべきことではない。しかし、昨日の自分よりも劣っているのであれば、それは恥と知れ!」というのが重くのしかかる。

一日でも弾くのを辞めてしまったら、その瞬間何かを失うような気がしてならない。

無理をしない程度に、しかし継続していこう。

スムーズなコードチェンジもジャンジャンジャンジャンという綺麗なオルタネイトピッキングも未だできない。先はまだまだ長いのだ・・・。

 

なんでこんな事をやっているのか、自分がどこまでできるのか「知りたいから」そんなところでしょうか。

岡本太郎氏が著書で「人間誰でも自分自身が自分の子供みたいなものだ」と仰っていましたが、その意味が何となくわかるような気がする。

 

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