一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

若者サポートステーション 仕事力発見セミナー

昨日はデイケア、今日は若者サポートステーション。

仕事力発見セミナーとやらで、要は相手の話の中から長所を見つけようという自分としても関心のある分野だった。

それよりも、まさかこんな展開になるとは!?と予想外の出来事があったけど、まあそんな話はいいです。

 

今日利用者の一人がいて、バーチャルユーチューバーの企画デザインの仕事がしたいと相談していて、チラッと横目でみたらこれが見事なもので「え!?プロの人?」という感じであったし、周りのスタッフも大変感心していた。聞けば、美大出身だとか。

羨ましいですねぇ。自分なんか顔を描けば人相が変わり、最近人物を立体で捉える練習をしているけど、よくわからず苦戦している。成果なんて出せません・・・!

自分の表現が認められ、金も稼げる。一種の理想であり到達点でしょう。

とはいえ、できるが故の苦悩もあるのだろうか。今やネットが発達して、才能を見せる機会が多い・・・というか全国、世界中を相手にするのだろうか。

それだけライバルも多くなり、その中で認められ勝ち進んでいけるのは容易ではないはず。

 

最近思うのだけど、利用者全員がダメ人間(失礼)というわけでもなく、働いている人もいるし、働く意欲があって行動できる人もいるし、こういった自分の能力で稼げる人もいる。ここでも優秀な人はいる。たまたま機会に恵まれなかったのだ。

奥から聞こえてくる相談を聴いても皆それぞれの道を歩んでいるようで、取り残されているというか、落ちこぼれというか、孤独を感じた日であった。無い無い尽くしの自分に何ができるのか。

 

何気ない日常が幸せだと痛感した

数日前から祖母と叔父がコロナに感染した話しを聞いた。

祖母は症状はそれ程重くはないものの、転んで怪我をして寝たきりに、頼みの叔父も昨日から体調が悪化、救急車を呼ぶかもしれない。そうなったら自分が祖母の面倒を見ることになるという話になった。

自分はワクチンはまだ一回目で二回目は今月下旬の予定である。二人とも三回接種で危機に陥るのだから、自分はいったいどうなるのだろう?二人はどうなるのだろう?いざって時はどうすれば?死人が出たなんてよしてくれよ・・・。保健所や病院に連絡しても基本何もしてもらえない。というより成す術がない?運を天に任せるしかない?と恐怖と不安で昨日は全然眠れなかった。

今朝叔父から連絡があって、若干体調が戻りつつあるからとりあえず様子を見るとのこと。これで快方に向かってくれるといいのだが・・・。

 

今こうして文章を書いて何気ない日常、退屈だけどゆったりとした流れの中にいることはどんなことよりも幸福なのでは?そう思うようになった。何も特別なことなんていらないのかも。たとえ幻想だったとしても。

実力云々よりも、気に入られることが大事なんだなぁ

懐疑的ではあったけど、タイトルに惹かれて自己啓発本を読んでいる。人との関わり方とか、会話についてのね。確かにそれが実践できれば、気に入られるだろうなぁと思うことばかりだし、実際明日からでも使えそうなテクニックが多い。

だけども読み物としては退屈極まる・・・。これは読書として楽しむものではない。

なんだか偉い先生が目の前にいて、「ああしないさい、こうしなさい。さもなければ・・・」と延々助言を聞かされているようで、非常に疲れてくる。特定の人にとって役には立つが、とてもつまらない。そんな感じ。

 

2冊手に取ってみただけなんだけど、共通するのは「いかに気に入られるか、人脈を増やすか」多分同じ種類の別の本でも似たような話になると思う。

なんとなくそこに社会の在り方を見るというか、「ああ、実力云々よりも、気に入られることが大事なんだなぁ・・・」とそんな感じが致します。

人によっては苦痛であったり、不快を感じるだろうなぁ。人脈を増やすと確かに縁というかチャンスというか、増えるけど、同時に維持管理もとても大変になってくる。

SNSスマホにあまり縁が無いけど、これらの発達でいつでも連絡が取れるようになったが、その分とても気を使うというか、めんどうになったというか、そっちの世界でも根回しをしなければならないのか・・・という印象を読んでいて受けた。げんなりした。

 

[便利なものが便利であるが故に普及し、いつしか「必要」なものになる。世の中必要なものだらけになったら、こんなに生きにくいことはないだろう。]なるほどね・・・。

 

他人に良く思われようとするならば、幾分自分が不快になることは避けては通れない。人脈が多ければ多いほど、自分の人生の時間は削られていくのだと思う。

まあ、良いか悪いかはそれぞれですがね。

 

就労支援格差

これまでいろんなひきこもり、就労支援を転々としてきて思うのは「支援を受けるのも格差」があるよなぁ・・・ということ。主に二つあって、場所と支援員。

今通っている若者サポートステーションでも、電車、バス、車、自転車、徒歩と様々である。近くに住んでいる人はいいけど、遠いと公共交通機関か自家用車が必要になり、この費用がバカにならない。何しろ無職が大半で、親から貰っているとしたら、いろいろ言われることだろう。

利用自体は無料でも、交通費が大きな負担になって通えなくなった人もいるのでは?L〇TAL〇COでは理由の一つがそれで辞めてしまった。

頼ったからといって魔法のように解決してくれるわけでもないので、長期化するとそれは恐ろしい金額となり、焦りで正常な判断ができなくなるだろう。

 

職員が合う合わないも大きい。合わないから変えてと言える人はいいけど、そんな人が何人いることやら。仮に全体としては良いとしても、合わない職員を引いてしまったがために、その後の活動が全てダメになってしまったら、こんな理不尽なことはないでしょう。

世の中のあらゆることが運に左右され、毎日くじ引きをしているような・・・。

 

最も重い孤独とはなんだろうか?

単に一人でいるだけなら孤独としては軽いように思う。

最も重い孤独とはなんだろうか?と考えると、「他人に関心を持たれないこと」ではないかと想像する。

 

あなたが何事かを必死に訴えて、それを聴いてくれる、受け止めてくれる人は?

あなたのために時間を使ってくれる人は?

あなた「個人に」目を向け、耳を傾けてくれる人は?

傷つく、傷つけられることを覚悟して、踏み込んでくれる人は?

理解できない、わからない。だからこそはわかろうと努めてくれる人は?

 

 

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