座間の事件を聞く度、孤独な人は何処に助けを求めたらいいんだろうかということを思う。
あまりに凄惨な事件であり、皆同情的になっているけれど、いざ「死にたい」とか「生きている意味がわからない」とか相談されたら、一体何人が親身になって相談に乗るんだろう。
正直、最終的にはその人自身で解決していく他に無いし、明確な正解もないだろうからされる方が迷惑と、ちょっとでも考えたりしないだろうか。その人を救ってあげられる答えも持ち合わせていない事が殆どだと思う。
そんなもんだから「甘えているんじゃないか」とか「努力が足りない」とか「もっと辛い思いをしている人がいる」とかなんとか言って、払いのけたりしないだろうか。
そんな気持ちは正直わからないし、一刻も早くこの暗い雰囲気から抜け出したいと。
こういう発言をする時、本当に心の底からそう思っているんだろうか。そう確信しているのだろうか。
答えを、一緒になって考えてみる事を放棄した誤魔化しじゃなくて。
自分も就職の事とか、社会というか集団というかそういう場所でどうにも上手くやっていけず、中学生くらいの時からずっと悩んでいて、家族とか支援機関に相談に乗ってもらったこともあるけれど、その態度はどこか投げやりな感じがする・・・。
自分自身今現在も悩みっぱなしであるし、もしそういう相談をされてもきっと月並みな回答しかできなだろう。自分の無力を感じるだけだと思う。
でも聞くだけは聞くという覚悟は持っていたい。
相談しなかったというよりは、相談出来なかった、或いはもう結果が見えていたのかもしれない。わからんけど。
皆孤独で、見捨てられていないって実感できることが最後の希望だよ。
自分の身にもそこまで降りかかっているのかもしれない。