立て続けに衝撃的な事件が起こり、すっかり悪い印象が付いてしまった引きこもり。
それまでさして気にしていなかった自分も「近所でどう思われているのか」なんだか顔を合わせづらくなってしまいました。
自分の現状を話したことなんてないですが、特に集合住宅ですから、察せられ噂が回るのは早い・・・。今は引っ越していきましたが、過去にはひょっとしてバレてる!?なんて思う出来事があったものです。
個人的な考えとして、引きこもりの人が再び働き出すことがとても難しい理由として、人間関係や過去の辛い経験があると思うんですね。
学校、職場、一度も社会参加をすることなく引きこもる人もそうそういないでしょう。戦いに敗れ、傷つき果てたから引きこもる。その原因は何なのかと言われれば、やはり人間関係。もう少し広く見ると「皆一緒主義についていけなかった」と睨んでおります。
引きこもり期間が長ければ長いほど、社会に対する恐怖感が強化されていきます。
同年代で働いている人なんかはそれなりの役職についているでしょうし、年下上司なんてことにもなりかねない。
人によっては上司に指示を仰ぐ、わからないことを聞くことがすでに凄いハードルの高いことかもしれない。
過去の自分の働きぶりを顧みて、仕事についていけるのかどうかも非常に怪しいし、そもそも一般社会に馴染めず、ついていけずに引きこもっているのに「また」その戦場に赴いても勝てるわけがない。傷口に塩を塗りたくり、一層引きこもり地獄を強化するだけではないのか?!
ならば、働かない方がいい。働きたくない。というか無理です。無理でした。そんなところだったりしないだろうか・・・。
間違ったやり方で一生懸命練習していても、上手くはならんのですよ・・・。
支援機関に相談に行けば、ロクに話も聞いてもらえず、挫折したやり方とほとんど同じやり方を進められるだけ、親や兄弟、友達に相談すれば説教の嵐、ネットに至ってはやたら辛辣で攻撃的な意見ばかり、恐らくこういう人は結構ギリギリなんだと思う。自分に余裕が無いからこそ、他人の振る舞いや言動に不寛容になる。許せない。でなければストレスを抱えるだけ損ですし、ネットに書き込むより、趣味にでも時間を使った方が建設的でしょう。ともかく居場所がない・・・正に八方塞がり。
当事者が何を考えているのかわからないと時々見かけますが、そりゃ話したい内容ではないでしょうし、話すこと自体、結構勇気と気力のいることなんですよね。それが裏目に出た時のショックは計り知れない・・・。
何より聞く側にもそれなりの態度を求められるものじゃないですか対話って。
時々考えるんですけど、今の自分がどうしたらすぐにでも社会復帰できるのだろうか?と考えた時に、なるべく一人で出来る仕事で、一日3、4時間くらいの労働時間、もくもくと作業できるような仕事で、そういう働き方をしていても、周りにいぶかしげな眼で見られない環境が与えられれば、今すぐにでも社会復帰できそうだなぁと思うわけですが、妄想で終わるでしょう。
就労支援施設とかで脱引きこもりをした卒業生を招いて、話を聞く機会がありましたが、誠ひねくれておりますことをご了承願いたいのですが、正直「お宅はいいよな。たまたま上手くやっていける場所が見つかってさ。自分がそうなる保障なんてどこにも無いし、内心安心しているだろ・・・一抜けたってできて。しかし、それもいつまで続くのかは誰にもわからない。そんな何千人に一人とかの神話を普遍化されても困る」とかそんな風にしか考えられませんでした。
もし家にも外にも居場所がなく、家族の理解も得られなかったとしたら自分はどうなってしまうのか?と考えて、働けない絶望を上回るものを感じずにはいられません。
親から「ただ働いてくれればいい、迷惑をかけるようなことさえしなければいい」とかなんとか言われて、やり場のない、恨みというか、憤りを覚える当事者も少なからずいるのではないだろうか。
余談ですが、しかし不思議なのが最近You tubeとかで僻地で生活する部族の暮らしぶりを見る機会が多くありまして、我が国と比べても電気、ガス、水道、ネット、道路なんか無いんですよね。荒涼とした砂漠やジャングル、湿地帯、極寒の山の中なんてところで生活しているのだから当然です。砂漠にいたっては火星の地表の写真とそっくりなんですが・・・。
でも彼らの顔をみると特別不自由しているわけでも、将来に悩んでいるわけでもなさそうである。(まあ内心はわかりませんが)子供たちも楽しそうに遊んでいますし、見ず知らずの人を泊めてくれたり、送迎してくれたり、自分にはとても真似のできないことである。あるようにしてある。そんな感じでしょうか。
何故暮らしが便利で充実している方が生きづらいのであろうか・・・。彼らの生活が近代化したら同じような感じになるのだろうか。