引きこもりと自己愛と歪んだ自己愛について思うこと
自己愛という言葉を知ったのはいつの頃だったか。2、3年くらい前の最近のことだったように思う。
これを知ってからは劣等感や他人嫌い、自身の無さと言った自分のマイナス要素が全てここに行き着くことを悟る・・・。
さらにWikipediaにはこんな記述も
騒々しく見栄っ張りで、傲慢で人を利用するという明確な自己愛性パーソナリティ障害の人物像とは対照的に、過度に傷つきやすく、失敗を恐れ、恥をかかされることを心配するために人前に出ることを避ける過敏なタイプの自己愛性パーソナリティの人々がいる。彼らは周囲の人が自分にどういった反応をするかに非常に敏感で、絶えず人に注意を向けている。批判的な反応にはとても過敏で、容易に侮辱されたと感じる。人に非難されたり、欠点を指摘されることを恐れ、社会的に引きこもることで葛藤を避け、自己の万能世界を築きあげようとする一群である。自分は拒絶され軽蔑されるだろうと確信しているために、スポットライトを浴びることを常に避ける。表面的には内気で抑制的に見えるが、その実、精神内界には誇大的な幻想を抱えており、自己愛的活動の大部分を空想の中で行い、それを人に知られないようにしている。彼らの内的世界の核心には、誇大的で顕示的な秘められた願望に根ざした、強い羞恥心がある。
一見すると慎み深く、ときに深く共感的に見えることもあるが、それは他者に純粋な関心があるように見せたいという彼らの願望を取り違えているだけである。彼らは自分の心的防衛の最終段階にある抑制的な行動しか目に入らず、自分のことを恥ずかしがり屋で自己主張ができない人間であり、当然受けるべきものも得られない性格だと考えていることがある。現実には持続的な人間関係を持つことが出来ず、共感性の欠如を示し、内に秘めた誇大的な自己像は慎重な面接を繰り返していくことで徐々に明らかになっていくのが、潜在型のナルシストの特徴である。
ここまで極端かどうかはわからないけど、読んでいて「うわぁぁ!やめてくれ!」みたいな気分になったので大部分当てはまるのだろう。特に「恥や失敗」は、冷汗が出るほど恐ろしい。
他人から嫉妬されて悩む人・・・よりは「嫉妬する感情に悩み、苦しむ人」の方がずっと気持ちが分かる・・・と言えば多少なりとも伝わるでしょうか・・・。
今日の引きこもりにも大部分が該当するような気がするのですがどうでしょう。
つまり自分が今一度社会に出てやっていこうとするなら、自分の自己愛と折り合いをつけなければならない。でなければ、何度でも挫折するように思う。
しかし、自分の欠点「要領が悪いとか、人嫌いとか、計算が極度に苦手とか、不器用とか、長時間労働がしんどくしかたがないとか」いろいろあるんですが、こういったものが自分の自己愛を下支えしているので、最早自分で対処可能な事なのかもわからない。
道は二つしか無いように思え、「一つは自信を付けること」もう一つは「ダメならダメで受け入れてもらえること」
後者はともかくとして、前者は何をすれば自信に繋がるのだろうか?というより、「他人に認めてもらう」ことこそが自信に繋がるのでしょう。
どちらも無理なんじゃないかとさえ思える。
「とりあえず働きだせばなんとかなるでしょ!」という理論が全く役に立たないのはここにある。
脱引きこもりの鍵は「他人に認められ、自信を付ける」もしくは「受け入れてもらえる場所を見つける」の二択になるように思いますがいかがでしょうか。
ここで疑問なのは、世間で普通のことを普通にこなせてる大多数の人は、自己愛や劣等感に悩んだりしないのだろうか?
他人と「対等」に付き合えるのだろうか?