先日見るのをやめた、引きこもりトークイベントライブが期間限定の公開になっている。
やっぱり見てみる?と一瞬思うも、「いや、やめておけ。散々時間を費やした挙句、はぁ~・・・みたいな気分になるだけだ」と自分の直感が警告する。
本の出版記念だったと思うのだけど、件の本のレビューを見てもそう思う。
レビューの言葉を借りれば「芸能人」なんですよ。
何故集団が嫌なのだろうか、特に「同一の目的を持った集団」が嫌なのだろうか。
恐らく自己愛から来るであろう天性の人嫌いなので、単純にそれがあるのと同時に、何度か書いてきましたが、集団でいると「その色に染まらなければならない」じゃないですか。
程度の差はあれ、集団が目指すべき目標に時間と労力を割かねばならない。とりあえず、所属して恩恵に預かるなんていうのは許されんでしょ。目の敵にするでしょ。
発言するにしても、周りの顔色を窺い当たり障りのない、言わば「平均値」をとるようになるわけですよ。
「いや!自分は違う!」なんて言ってても、この空気にいる限り、実際に切り裂いていかない限り、同意したも同然で、浸かっている内にやはり集団に染まっていくでしょう。
自分に突っぱねられる強さがあるだろうか?無いです。
弱者が権利を持つ世界も恐ろしい。
問題は変えていくべきだとは思いますが、弱いから、虐げられているから、が段々力を持って支配的になるようなことに加担はしたくないなぁと。
確かに引きこもりやろくでなしに明るい社会、理解のある社会、復帰しやすい社会になってくれれば、自分にもチャンスはあるかなぁ、そうなったらいいなぁとは思いますが、変えることが当然だ!正義だ!理解の無い奴は断罪すべし!みたいになっていくのはどうなのか。
何とは言いませんが、もうそういう感じになりつつあるでしょう。
集団に所属し愛することによって、それに染まらない人を差別したり、攻撃したりする。そうはなりたくないですし、個々では弱いから、理解してほしいから集まったはずなのに、非常に危ない橋なんじゃないかと思います。
最後に陰湿な事を言うと、あのイベントの参加者に何人元当事者がいるのかわかりませんが、かつては自分と同じように悩んでいたはずなのに、今はその事を持ってして、言わば自分の弱点が、あの時の辛い気持ちがそのまま飯のタネ、活動のタネになるんですから、いい気なもんだなぁとか・・・思いません・・・?
決して人の事は言え無い身ですが、自分の恥部を晒して注目を集めたり飯のタネにするのは、よくよく考えるとおかしなことだなぁと。
自分にもああいったチャンスが巡ってきたら、同じようになってしまうのだろうか。
その時、当事者から突っ込まれたらなんて返せばいいのだろうか。
こう考えると直視できませんわ・・・。