一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

承認欲求について個人的に思うこと

個人的に思うことがあって、「他人に認められたい」「優れていたい」「褒められたい」とかって、承認欲求って言われるじゃないですか。

自分もそうなんですけど、そういう人って「孤独」じゃないですか?周りに人がいても、「なんかね・・・」みたいな。自分は無職で孤独どころかほぼ断絶しております。

もう底辺まで落ちて生活保護か!?っていうのが迫ってきて、今更承認欲求もクソもないじゃないですか。誰がこんなのを承認するのだと。

正直捨てたいです。捨てられればかなり自由に大胆に行動できるはず!ですが、捨てられない。くすぶり続けると。

 

何故かって言うと「自己愛」ではないかと疑っております。それも上手く扱えればいいのだけど、拗らせるというか「誰に見せても恥ずかしくない理想の自分」っていうのがあって、でも現実は「これ」だと。ズレとる!

であれば、認められるよう努力すればいいのだけど、「何を?どこへ向かって?」となって循環する。この辺学生時代に生きる目標を定めなかったせいかなと思いますが、どうでしょう。それで結果を出せなかったら、更に拗れるでしょう。

 

でも最近承認欲求事態は変わらないものの、「本当はそんなものは必要ないんじゃないか?」「欲求の方向性を変えるべきだ」と思うようになったんですね。

具体的には「自分を一個人として承認してくれる人がいてくれればいい」と。ここがポイントで、この基礎がしっかりしていれば、他人と比べて落胆することはずっと少なくなるのではないだろうか。

遊ぼう!飯を食いに行こう!

ギターを練習して「お!前より上手くなったね!」

絵を描いて「ここがいいね!」

プラモデル作って「カッコいい!」

こんな程度でいいはずなんですよ。つまり自分の実存を実感する必要があると。自分の場合で言えば、孤独がそれを引き起こすのかな?と想像します。

満たされると上へ上へとさらに拗らせていくのだろうか?

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