ここ最近心理的に調子が悪いと書いてきた。サポステでは不調だし、家でも不調である。そんな態度が家に不穏な空気をもたらしてしまった・・・。
現在母とその職場の友人(女性)と自分という特殊な環境で日々を過ごしている。去年までは団地に自分が一人。母と友人がアパートで同居していたのを母が老後の事を考えて、友人とお金を出し合って現在の中古の一軒家に住んでいる。
そんなありがたくも凄く肩身の狭い立場でありながら、無愛想な態度はそんなつもりはないとはいえ、空気が悪くなる。一人で鬱屈しているくらいにしか考えていなかったのだけど、母に指摘されて気が付いた。
だけども、「最近様子がおかしいけど、何かあったの?」ではなく「空気悪くなるからやめて!」というのは、寂しいというか残念というか。
家に限ったことではないけど、正直に打ち明けて受け止めてもらえたら、どんなに助かったろう、心が軽くなっただろうかとは子供の時からずっと思っていたし、これからも変わらないだろう。
母は日々、「会話に参加しろ!コミュニケーション!」なんて言うのだけど、それをやりづらくしているのは当の本人なんですが・・・。
ともかく、自分としても意図しなかったことなので、修復に勤しんでおります。
黙っていても伝わらない。伝わらないのであれば、説明しなければならない。
とはいえ、それが受け入れられるのか?考えてもらえるのか?は全くの別問題なんだよね。正直に話して状況を悪化させたら最悪の展開である。いつ、誰に、どんなタイミングで話すのかとても難しい。誰でもいいってわけじゃない。賭けに近いかも。そういう人や場を見つけることができなかったら・・・。
他方、そんな悩みや経験が人との関わり方、開かれた対話を考える上では役に立つかもしれない。その人が抱えている立場や悩みは実に様々で、時に自分の経験や想像を超えることも少くないだろう。だから「聴く、訊く、否定せずとりあえず受け入れる」そんな態度が相手への理解に繋がり、風通しの良い言語空間や関係性を作っていってくれるのではないだろうか。きっと一生掛けてもわからないだろう。だから訊く、考えてみると。とても体力と集中力のいることで、一朝一夕にできることではないけど、自分がつらかったのに同じことをしてしまうのは嫌なもんだよね。つらい話から逃げない勇気が欲しい。話してもらえなければ何もわからないしね。