ここ最近の気分の落ち込みはひどい様で、今日デイケアに参加したときにもそんなつもりは無かったのに、表情や声色に出ていたようで、長年お世話になっている職員さんが気に掛けてくれて面談をした。
いつもの泣き言、悩み相談程度にしか考えていなかったのが、意外な方向へ話が進んだ。
具体的には「仕事はつらいが、それ以上に家庭の環境がつらい。職場も家もつらくてどうにかなりそうだ」と訴えたら、家賃補助の福祉サービスを利用して、一旦家を離れて、それから人生設計を考えるようにしたら?とのこと。
今の家の状況は少々特殊で、母とその友人が共同でお金を出し合い、中古の一軒家を買ってそこに自分が居候のような形で住んでいる感じ。肩身が狭すぎるし、何より親世代の価値観の中に居続けることが、あまりに苦しい・・・。何かと顔色をうかがって、常に抑圧される環境下である。
他人に自分のあり方をどう思われるか?否定されることをずっと恐れてきた。でも、一般的な生き方に適合できず、所謂普通、当たり前が苦しいことも事実。
どうか他人の評価ではなく、自分がどうありたいか?で生きていけるようになりたい。子供の頃から悩んできた問題の根底は、きっとここなんだよ。仕事はそのほんの一面に過ぎない。
いい加減この辺りで「自分の生きづらさはなんなのか?なにがそんなに苦しいのか?」と向き合わなければならない。実はこれはとても難しい。まず、自分一人で悩んでいても「生きづらい、苦しい」という悩み以上にはなかなかならない。よって鏡になってくれる他者が必要なのだと思う。悩みを言語化して伝えられるようになったとき、はじめて問題になる。このときになって具体的な対処法を考えられる。でも目を背けたり、誤魔化してしまったりする。人間、未知の変化よりは安定を望むものだし、つらくても現状維持とした方が楽である。不安よりは不満を取る。正直つらくてしんどいけど、環境を変える一歩を踏み出せなければ、一生こんな思いで過ごさなければならない。
幸いにも周囲に泣き言というか、相談をし続けた結果、横の繋がりが広がりつつある。来週あたりにも件のなかぽつの担当者に相談に行く予定。
上手くいくのだろうか・・・。そして、そんな自分のあり方を受け入れられるだろうか。