家族から「お前のことを心配しているんだ」とは、多くの当事者が言われることではないかと想像する。でもここでの心配って、「将来の心配」じゃない。
一人で生きていけるのか?後どれくらいこんな状態が続くのか?いつまで世話をし続ければいいのか?親目線で考えればもっともなことだと思う。
他方常々不思議なのが、何故心配していると言いつつ、視点が「今」に向かわないのか。
今後を考えるうえで、今当人が何を考え、何に悩み、働きだせないのは何故なのか?それって重要じゃない。記憶にある限り一度として取り合ってもらえた経験はないし、耐えかねて漏らしたこともあるけど、売り言葉に買い言葉になって話したことを激しく後悔するだけだった。
親の気持ちを否定するのはご法度みたいな空気があるし、誰も賛同してはくれないけど、やっぱり心配よりは不安なんだと思う。
本音を言い出せない。理解可能かどうかは置いといて、いったん受け入れてもらうことさえできないと、相手の顔色ばかりを窺って、その場を取り繕うことばかりをして、終いには「やっぱり無理です」と断って顰蹙を買うことになりかねない。
ひきこもりの脱出の難しさの一部分は間違いなく家族関係にあると想像する。
何故いつも自分は下で悪者なのか・・・。
思えば子供のころから否定されるか、馬鹿にされるか、できない自分に失望するか、いつもどうするんだ!どうするんだ!と選択を迫られていた30年だったような。
実家暮らしなんかしているから、こんな目に合うわけだ。
しかし、安定した自立をするためには、経済的に安定する必要がある。
それこそ挫折してきたことだし、生きるコストが高すぎる・・・。